生涯学習センター きらめき 文化講座

〜江戸時代の三大文豪の傑作を楽しむ〜

 生涯学習センター きらめきで現在開講されている文化講座の中に、「西鶴・芭蕉・近松と上方文化」という講座があります。講座では、ほぼ同時代に生きた三人(井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門)の文豪の作品を鑑賞し、上方文化とのかかわりを学習しています。
 今なお多くの人の心に響く作品を残した三人の文豪について、講師の西島孜哉先生に話を聞きました。


西鶴・芭蕉・近松が活躍した元禄時代の文化とは、どのような文化だったのですか。
 上方が一番いきいきしていたのが、江戸時代の前半、中でも寛文から元禄時代です。上方は経済の中心で、天下の台所と言われたように全国の物産が入ってきました。文化も大いに栄え、京都の文化を吸収しながら、躍動感あふれる人間的な上方文化を築きました。上方は、江戸に比べて武士の人口が少なく、その分、身分へのこだわりも少なかったようです。町そのものに自由な雰囲気がありました。

西鶴・芭蕉・近松の作品に共通するものはありますか。
 庶民の生きざまを描いているという主題は共通していると思います。上方は、身分へのこだわりが少ないといってもやはり封建社会ですから抑圧はあります。身分制度や家族制度などさまざまな制度の中で生きる人々の心を、西鶴は浮世草子で、芭蕉は俳諧で、近松は浄瑠璃・歌舞伎で表現しました。
 講座で取り上げたのは、西鶴は『好色一代男』『日本永代蔵』、芭蕉は三つの紀行文、『おくのほそ道』『笈の小文』『野ざらし紀行』、近松は『曾根崎心中』『天の網島』です。三人とも、常に新しいことへの挑戦を怠らず、自分の思いを表現しました。

作品の中に見られる三人の特徴とはどのようなものでしょうか。
 芭蕉は、人間の本質を抜き出そうとしました。いろいろな生き方の中で共通している部分を抜き出し、それを抽象化して短い言葉に表しました。反対に西鶴は、現実に迫っていきます。作品が具体的、個別的で、一人一人の心の違いまで描こうとしています。近松は、その中間でしょうか。物語は現実的ですが、話の内容はその典型を取り上げています。世話物、その中でも心中物の世界は多くの男女の共通した思いだったでしょう。近松は演劇ですから、西鶴や芭蕉とはまた違った苦労があったと思います。
上方文化と江戸文化の違いを教えてください。
 上方文化は江戸へと広がっていきました。二つの文化を比べると、江戸の方が専門的に思えます。例えば浮世絵にしても、江戸ではプロの絵師が中心です。江戸はお上によっていろいろな文化が保護されていたのです。上方文化はどこか素人っぽい感じがします。はじめはみんなで作り上げ、やがてその中からプロが生まれて、洗練されてくるというのではないでしょうか。

茨木市に、この三人にまつわる場所がありますか。
 山手台公園の近くに、「おさん茂平」の碑があります。これは、西鶴の『好色五人女』や近松の『大経師(だいきょうじ)昔暦(むかしごよみ)』の中に出てくる主人公の名前で、不義密通の疑いをかけられた二人が死地を求めてさまよい、ついに心中するという実際の事件をもとに作られた話です。この辺りは、もともとは山林でした。清阪街道はその中を通り亀岡に続いていますので、実際に二人が通った可能性があるのかもしれません。この碑に、心中などで死ななければならなかった人を鎮魂する、後世の人々のやさしい心が感じられます。