わがまち茨木の民話・伝説

  各地に民話・伝説があるように、茨木にもいくつかの話が残されています。
 茨木市では、昔から語り伝えられている話や古典・古記録に残されていた茨木に関係する話を集めて、『わがまち茨木 民話・伝説編』に掲載しています。
 今回は、その中の2編を紹介します。

おさん・茂平(石河村)

  (前略)やまの道をどんどん行くと福井と石河と安威の領境がありましてなあ、そこが国見峠と言うて、昔はお茶所がありましてなあ、昔ここでおさん、茂平が心中したと伝えられていまんねや、おさんはな、すごい美人でな、大阪から京都のある金持ちの商家へ嫁入りしましたんや、その家には茂平と言う下男と女中が居りましてな、茂平は丹波の生まれで男前でな、また、女中もなかなかの美人で、二人は末は夫婦の約束をする程仲が良かったそうでっせ。ところがおさんの主人もなかなかの女好きで、(中略 おさんは主人が女中部屋に通っていることを知り、それを確かめようと、また茂平も二人の仲を確かめようと部屋へ入る。そこへおさんの主人が女中に会おうと部屋に入ってきた)部屋の中には自分のおさんと下男の茂平、えらいこっちゃ、こら不義者めと部屋を飛び出し、代官所へと訴えましたんや、さあ困ったことや、姦通罪は市中引廻し打首の罰がある。この事を知った茂平とおさん二人は、死地を求めて江洲へ行きましたが、死ぬ事が出来ず、茂平の故里丹波へ帰りましたんやが、ここでも追手が厳しく(後略)

(『わがまち茨木 民話・伝説編』より)


 この地は昔、能勢妙見参詣でにぎわった街道(妙見街道)だった。この街道近くの山手台中央公園付近に、「おさん 茂平」の案内板がある。案内板には、京都の商家に嫁いだおさんと丹波から来た茂平が姦通の罪に問われ、これを逃れるためにこの地まできたが、ついに心中をしたという伝説の地であることが記されている。
 実際に起きたこの事件を、井原西鶴が『好色五人女』で、近松門左衛門が『大経師昔暦』で、それぞれ取り上げている。

お不動さん(太田村)

(前略)ある男がお不動さんを荷車に積んで街道を西から東へ過ぎて行こうとしました。急な坂に出合いましたので、「やれやれ、ここで一休みしよう」と、車を止めて上の広場で休みました。(中略)「さあ、もう一仕事しよう」として男は車を引こうとしましたが、どうしたことか、車が動きません。「お不動さんはここが住みよいところときめられたのでしょう」と考えました。そこで街道から階段を上ったところの傍にくずやの祠を建て、お不動さんをお祀りしたということです。その後、この祠は焼けてしまいましたので、現在地にお堂を造ってお不動さんをうつしました。太田の人達はお不動さんを『太田のお守り』として今でも祀り続けています。焼けた所には昭和の中頃まで大きい石が置かれていましたが、今はそこには見当たりません。

(『わがまち茨木 民話・伝説編』より)


 お不動さんと称して祭られている石仏は、花崗岩でできていて、高さ170B、幅60B、厚さ50Bの板状の自然岩の表面いっぱいに如来形の立像を線刻している。火を受けたのか表面がかなり荒れている。
 60年に1度の開帳となっているので、実物を拝んだ人は少ないようだ。

(『わがまち茨木 石造物編』 『わがまち茨木 民話・伝説編』より)

『わがまち茨木』『茨木の史跡』は、市役所南館の地域教育振興課・市民相談室、文化財資料館で購入できます。