同センターには、キャンプカウンセラーとシルバーアドバイザーがいます。それぞれの活躍について紹介します。
キャンプカウンセラー(現役大学生) シルバーアドバイザー(大阪府シルバーアドバイザー講座を終了された方) |
藤原氏などの貴族や神社・寺院が荘園を持って、農民を支配する古代から、武士が政権を担当する中世になると、京・大坂に近い茨木は戦にまきこまれた。 |
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白井河原合戦あと(中河原町) |
奈良時代 | 平安時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代 | 明治・大正・昭和 |
(古代) | (中世) | (近世) | (現代) |
【茨木各地の土豪達は、新しい時代に向けて活動を始めた】
宿久庄にいた御家人宿久六郎【すくろくろう】や、泉原荘の泉原将監【いずはらしょうげん】、三宅城の三宅出羽守国村【みやけでわのかみくにむら】など国人と呼ばれる土豪たちが、荘園を持っていた貴族・社寺に変わって、土地の支配権を持つようになっていった。
【茨木氏が16世紀半ば頃から茨木城主となるが、織田信長が近畿を押さえて、中川清秀が茨木城の主となる】
これらの土豪のなかから茨木氏の祖茨木伊賀守長隆【いばらきいがのかみながたか】は、室町幕府管領の細川晴元【ほそかわはるもと】を支えた実力者として茨木城主をつとめた。
1500年代後半の茨木城主茨木佐渡守重朝【いばらきさどのかみしげとも】は、茨木氏最後の武将。芥川城主和田惟政【わだこれまさ】と提携して当地に覇をとなえていたが、白井河原の合戦(1571)で、織田信長方荒木村重【あらきむらしげ】・中川清秀【なかがわきよひで】に負けて没落。
足利氏に変わって、織田信長が天下を掌握し、後継者豊臣秀吉が大坂城を築いて戦国時代は終わりを告げた。
中川清秀【なかがわきよひで】は、中河原町の出身とも言われ、豊臣秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳【しずがたけ】で戦死し、梅林寺に菩提が弔われている。
【茨木は、豊臣家・徳川家の直轄地となり、江戸時代始めに茨木城はなくなった】
高山右近【たかやまうこん】・小西行長【こにしゆきなが】と並んで、豊臣秀吉が信頼したキリシタン武将に、安威五左衛門了佐【あいござえもんのりすけ】がいる。高山右近の秘書官で、右近や行長ほど今は知ら黷トいないが当時は有名な人物であった。中川氏が播州三木に移った後、茨木城主になった。
明治時代の文豪坪内逍遙【つぼうちしょうよう】の「桐一葉【きりひとは】」で知られる豊臣家重臣片桐且元【かたぎりかつもと】が城主をつとめたのち、徳川幕府は1615年、「一国一城の令」を出して全国400の城を廃止する。
茨木城はこのときになくなって田畑に変わった。
【茨木は、近郊の村々で生産される商品の加工・集散の中心となる在郷町に変わっていった】
参考資料 |
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茨木城の矢倉門を模したもの (茨木小学校正門横) |