いばらき再再発見
 文化の香り高い茨木市は“有形無形の文化財の宝庫”ではないだろうかと考えた「まなびどり」編集ボランティアは、祭事・街並み(民家)・伝承芸能など「知る人ぞ知る茨木の文化」を発掘し、紹介することにしました。日頃気づかない所に嬉しい発見があるかもしれませんよ。 かどまつ
 昔の茨木には、独特の「風習・年中行事・子どもの遊び・民謡」などがあったそうです。そして、この中には、今なお続いているものも多数あるということで、茨木で生まれて今日まで生活してこられ、「わがまち茨木」にも数々の資料を提供されている泉原の久保義明、^砂の西田善一の両氏にお話をしていただきました。
久保義明氏
久保義明 氏
西田善一氏
西田善一 氏

とんど(1月)
 1月15日(小正月)の行事として行われた。前日、子ども達が各家から藁や竹を持ちより、竹に藁が巻かれ、早朝村人の集まったところで、とんどの火がつけられた。各家から門松や注連縄【しめなわ】、さらには子ども達が勉強できるようにとの願いをこめて、書初め半紙やつづり方の作品などもとんどに投げ入れられた。また、氏神の門松も取り合いとなって焼かれた。
 とんどが終わった後、焼け残りの竹を家に持ち帰り、小正月の小豆粥を炊く薪として使うのがならいとなっていた。

せんぎょ(施行)(2月)
 寒い時期、お稲荷さんの行事が行われた。男性が何人か当番の家に集まり、男性のみでご飯を炊き、稲荷ずしをこオらえた。夜中に大樹の根方や山の境目など狐のいそうな所に置いた。そして、下山した男達は当番家で歓談してそれぞれの家に帰っていったのである。
 これは寒施行の一つの行事として行われた。

雨乞い(8月)
雨乞い  8月に雨が降らないと稲穂が実らないので、一家総出で稲の一株一株に土瓶で水をかけて凌いだこともあった。昭和22〜23年に大干魃があり、村をあげて『雨乞い』が行われた。お地蔵様をたらいに入れた水に沈め、「ぶくぶくと泡を吹くと雨が降る」という古くからの言い伝えがあり、みんな固唾をのんで見守った。数日後雨が降り出したときは大喜びで走り回った。

伸子張り(8月)
 女性は農作業の合間に衣類や布団の手入れをしなければならなかった。衣類や大布団を陽に当て風を通し、汚れているものは全部ほどいて洗う。  和服は10枚ほどの直線の布を縫い合わせてつくられている。ほどいて薄いのりをつけて、長いものは伸子張り、小さい部分布は板に張ってピンと張りを持たせて乾かす。夏に家中の着物を洗い上げておき、寒くなる前に直しておくのである。

亥の子つき(11月)
 旧暦10月の亥の日に行われた行事である。亥の子の棒は、樫の棒に藁をかぶせて藤のつるで巻いたものである。夜、子ども達(5〜6年生ぐらい)が嫁入りや、出産のあった家の庭先に集まり、「亥の子」棒で地面をたたいて「亥の子歌」を歌い、家々をまわった。
 地面をたたくことにより、もみがよく干せるようになるなど、この行事は神農に対する感謝のお祭りといえる。

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茨木の民謡

民衆の生活を描写し、彼らの感動を細やかに表現している。茨木の民謡は庶民の文化のひとつであると思われるが、数多い歌の中から2曲紹介する。

楽譜 寒天屋節
 天明2年(1782)太田村で始まった「茨木の寒天業」は寒い冬の真夜中から早朝にかけての厳しい作業であった。この作業をしながら口ずさまれたのが「寒天屋節」であった。現在は工場寒天に押されて天然寒天作りは面影すら残っていない。


臼挽き【うすひき】唄・籾摺り【もみすり】
 茨木の山間部ではその年のお米の収穫を喜んで家中総出で臼挽きに従事したがこの時お互いを励まし疲れを癒そうとして「臼挽き唄」が歌われた。また、茨木南部の沢良宜浜地方では、乾燥した稲束からとった籾粒を、沢良宜浜の「籾摺り唄」を歌いながら土臼に入れて籾摺りをした。

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紙芝居
 自転車に乗って紙芝居がやってくる。見物料は2〜5銭で飴や酢昆布が入場券代わり。「黄金バット」や「講談話」の絵を見せながら、無声映画の弁士のように熱演する。話は続き物で、いつもいいところで「明日のお楽しみ」で終わる。テレビのない時代の子どもたちのなによりの娯楽であった。 紙芝居

芝 居
 大人の楽しみは芝居である。麦の収穫が終わり田植えには少し早い5月頃、村に芝居の巡業がやってくる。麦畑をならしてテントを張る。支柱は農家にある稲や藁を乾燥させる『稲架(はさ)用』の丸太や竹を使った。茨木神社の南の方には「日吉座」という常設の芝居小屋もあった。

 
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本山九日講(ほんざんここのかこう)
 当講の講員は約340名で、所属寺院は38寺ある。毎月9日に当番になったお寺では、僧侶・講員が前日から昼食やお土産の準備をして、100名前後の参拝者のお世話にあたる。談笑しながらの楽しい昼食が済むと当番寺院住職が導師となってお経をあげる。このようにして、講員は信仰を深め相互の親睦をはかっている。

泉原の行者講(いずはらのぎょうじゃこう)
 奈良吉野大峰山寺参拝者入峯の行者講であり、長老の先達で若者が大峰山に入山するものである。先ず、氏神に参拝し、裸に冷水をかける“みそぎ”を済ませ、白装束に身を固め首から長い数珠をかけ、錫杖【しゃくじょう】を持って法螺貝【ほらがい】を吹いて出発する。一行は、4〜5日かけて険しい登山路を進み、入山後は、身を清め苦行を積む。帰村の日には村はずれの「三軒屋」の所まで村の老若男女が迎えに行き、そこで、無病息災の儀式を行った。

小寄報恩講(およりぼんこ)
 農閑期にあたる初秋から年末にかけて行われるもので、各信者の家に住職と同行衆を案内して、その家の仏壇を中心にして勤行する。読経の後は住職の説教を聞き、家人は昆布茶などで接待し、燐寸(マッチ)を粗供養として手渡し、集まった人々は帰途につく。

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参考文献
1.「わがまち茨木」風習編−その2−(平成6年3月)
2.茨木市史(昭和53年11月)  

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