冷たい「水」が恋しい季節になりました。人間の体の約70%は「水」です。「水」は命の源と言われています。茨木は昔からよい「水」に恵まれたまちです。今回は「水」を特集してみました。

 

 茨木に住む人たちは、安威川・茨木川・勝尾寺川などから、さまざまな恵みをもらって豊かに暮らしてきました。茨木の川は淀川水系の川で、神崎川を経て大阪湾に注いでいます。昔は川の水をめぐる争いや災害もありましたが、人びとが豊かに暮らせるように命を捧げた茨木の先人が多くいます。
 農耕地だった茨木が住宅地に変わった今、川の役目も変わりました。
 市の南部は、昔は水域でした。島・沢良宜・水尾・真砂などは、地形が形成された時期の土地が地名になったようです。

 たんぼの用水として、江戸時代になってため池が造られるようになりました。各村ごとに1〜2か所持っていて、300坪(0.1ヘクタール)以上の池だけでも130あまりありました。山間部は池が昔の姿を残していますが、平地部では、松沢池・耳原大池などを除いてほとんどが埋め立てられて、住宅などになっています。

参考文献:「わがまち茨木 水利・地名編」
茨木市教育委員会


茨木市河川略図



疣水さん(磯良神社)の御神水」

 今も疣がとれるといって、水をいただきに来る参詣者が絶えません。




「竹管水道」

 茨木には、江戸時代のころに作られた竹管水道という簡易水道がありました。十日市浄水場の展示室に発掘された実物があります。

参考文献:「わがまち茨木 水利編」
茨木市教育委員会


竹管水道の図

「プールを造った茨木高校」

 大正2年(1913年)茨木高校(当時は茨木中学校)は茨木川の水を引いて、生徒の労力で校内にプール(水泳池)を造りました。大正4年(1915年)の新たなプール築造の作業の様子については、「4年生だった川端康成君は弱い体を押して、1時限13往復の土運びをやっていました。(杉本教諭)」と書かれています。

参考文献:「茨木高校100年史」

 

 普段使っている水を今一度見直し、私たちの家庭にどのように配水されているかを、茨木市水道部・十日市浄水場で調べました。
 現在茨木市は、淀川からの大阪府営水道から約90%、茨木市の地下水から約10%取水し、平成14年度実績で、1日平均量約92,000が配水されています。この浄水場では、特にその中枢となる中央管理室で水質モニターでの水質管理(36か所)やコンピュータでの需要予測をし、効率的な水運用を行っています。
 皆さんの家庭や工場へは次のようなルートで水道水が配水されています。

 何げなしに排出している水は、どのように処理されているのでしょうか。
 安威川流域下水道中央処理場を見学しました。建物は府営ですが、維持管理は茨木市・吹田市・高槻市・摂津市・箕面市と島本町の5市1町で下水道組合を構成して運営しています。
 下水の行方をたどってみましょう。
 各家庭から排出された下水は、岸部・穂積・味舌・摂津の中継ポンプ場を経て、13本の下水道管を通って、中央処理場に集められます。


※スラグストーンは、建設資材や道路の下層路盤材、人造御影石などの人造石にも利用されます。

担当:阿曽・池田・岩本・河村・藤原 絵:藤原



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