茨木には自然歩道として、竜王山・武士・山脈・鉢伏・北山・キリシタンの6コースと東海自然歩道を組み合わせたコースなどがあります。
 そこで、まなびどり探検隊はこれらの歩道を実際に歩いて、四季折々の自然をシリーズでお届けします。今回は7月初旬に取材したキリシタン自然歩道を紹介します。




 この自然歩道は、阿為神社を起点にして、北へ登っていくコース案内が多いのですが、豊かな自然にふれながらのんびり歩き、遺物・史跡などをゆっくり見学するため南に向かって歩くことにしました。
 阪急茨木市駅8:07発忍頂寺行バスに乗車すると、忍頂寺バス停に9時過ぎに着きます。梅雨の合間をぬって下音羽を経て、キリシタン自然歩道の起点長谷口バス停まで約2km歩き、ここからコースに入り、千提寺の墓碑や大岩八幡神社五輪塔などの史跡をたどり、最終地点である阿為神社までの約11kmと、途中、木々の緑に誘われて加えた大門寺へのコース約3kmを歩きました。

 

 まず進行方向に歩き始め、下音羽の入り口にある曹洞宗高雲寺に立ち寄る。急な階段を登りきると、ふた抱えもあるイチョウの巨木が迎えてくれた。本堂の横に馬蹄型の墓碑が2基あり、解説板によると、手水鉢の台石やくつ脱ぎ石として使われていたのが発見されたと記されていた。禁教令による弾圧をくぐり抜けた人々の信仰の強さを静かに伝えているようだ。


 高雲寺本堂横の墓碑

 自然歩道の起点長谷口バス停付近は、以前は標識と案内図が立つほかは何もなく、緑に囲まれた田園風景が見渡せるだけであったが、すぐ目の前に de 愛・ほっこり「見山の郷」が昨年オープンしてにぎわっており、生産者直売の新鮮な野菜などを求める車が目に付いた。(9:30)
 歩き出してすぐ右手に旧家の塀際にやや古びた掲示板があり、大正11年(1922年)にこの家の納屋から「厨子入り象牙彫りキリスト磔刑像」(大阪府指定文化財)が発見されたと説明されていた。
 心地よい風を受けながらアジサイが見事に咲く農道を通り過ぎ、山道に入った歩道は忍頂寺を経て、千提寺方面に向かう。この間はなだらかで歩きやすい道が続き、小鳥のさえずりを聞くことができ、路傍にはホタルブクロやウツボグサなども可憐に咲いており、足取り軽く楽しく歩ける区間である。
 千提寺の山林(通称クルス山)には「切支丹信者墓碑発見地」(昭和4年(1929年)3月大阪府建立)の碑があり、その傍らに光背形立石型の2基の墓碑(説明板によるといずれも表面上部に二支十字章が彫られ、左側の碑には慶長6年(1601年)4月1日人名佐保 教名カラゝ。右側の碑には慶長17年(1612年)人名・教名とも不明と彫られていた)や、遺物発見のきっかけになったといわれる光背形立石型の墓碑(説明板によると表面上部に二支十字章と慶長8年(1603年)正月10日上野マリヤと彫られていた)が残されていた。すぐ近くのキリシタン遺物史料館に立ち寄り、禁教が厳しかった時代を無言で語る数々の貴重な遺物などを拝観した。(11:40)


キリシタン自然歩道の起点
(長谷口バス停横)

切支丹信者墓碑発見地の碑

 

 千提寺をあとに、大岩方面へ向かう途中に、泉原方面への分岐点の標識が立つ。傍らには長年妙見さんの参詣者たちを案内し続けた「左いづはら 右妙見さん」と読める石碑も残っていた。鳥居を過ぎると大岩だ。
 大岩八幡神社の五輪塔は標識がなく、分かりにくかった。地元の人に聞いてその方向に歩いたが見当たらず、そこで農作業中の人に聞いてみると「反対方向に来ているので、ここからは口で言うのはややこしくて無理ですわ…」と。不安がる4人を見てか、ご親切にも帰宅途中の車で現地まで案内してくださった。見覚えのあるところであるが、実は先ほど歩いた道筋に戻っていた。室町時代に建てられたこの五輪塔は、府道忍頂寺福井線に出る手前の個人住宅の間を左に入ったところにひっそりと鎮座していた。道筋から左奥に見えるカラフルな遊具が目印になるだろう。 (14:30)


大岩八幡神社の五輪塔

 

 国見台公園で一息入れた後、近くの大門寺に足を伸ばす。人影もない緑に映える境内は疲れた体に最高のプレゼントだ。元気をもらって山手台住宅地を下り、おさん茂平恋道中碑、初田1・2号墳を経て、中臣氏の祖神天児屋根命を祭る最終地点阿為神社に向かう。すぐ東側に府道茨木亀岡線が通り、バス停は近い。
(16:30)

 わがまちに残された歴史的な遺物・史跡に出合い、恵まれた自然や地域の人々の温かい心に触れた一日でした。のんびり ゆっくり しっかり歩くお勧めのコースです。

  担当:阿曽・岩本・河村・藤原  絵:藤原 



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