第11回

 「早くしないと遅れるよ」。
一日に何度も口にした言葉を、いつの間にか言わなくなっていることに気付いたとき、子どもたちは自立し、夫は定年を迎え、私の時間の流れも変わっていました。
 「そんなに生き急ぎしなくても…」といわれながら、家事と仕事をこなし、その合間を縫っていくつかの趣味にも手を出しました。時間は捻出するものと決め、夢中で走る快感と無駄なく使い切った充実感に、生き甲斐を覚えたものです。
 押し入れを開けると、走ってきた時間の残滓がいやでも目に入ります。流行遅れの服地や中途半端になった手芸品の数々、いつかきっとと気負って書いた創作童話の同人誌や油絵が、日の目を見ることなくほこりをかぶっています。あくせくしてもしょせんこういうことか。しかし堆積した残滓の一つ一つに、深い思い出と愛着があり、どれも生きてきた証です。
 何もせずに時間だけが過ぎる恐怖にも慣れて、近ごろは時間の流れに身をゆだねる心地よさを知りました。駆け抜けた半生をいとおしみつつ、残された時間のノルマを果たすまで、多くを望まず、今日一日を輝いて生きていきたいと思っています。
 齢一つ重ねて煮込む鰤大根  

阿曽 美智子




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