市民インタビュー

グループ紹介
第21回

茨木市民の中からいきいき生活の達人を探し出し、紹介するコーナーです。
話から見えてくるその豊かな人生に、きっとあなたも勇気づけられることでしょう。

小村一也さん

松村雅亘さんは、世界でトップクラスのギター製作家といわれたフランスの
ロベール・ブーシェさんの、日本人唯一のお弟子さんです。松村さんのアトリエを訪ね、
現在に至るまでの感動的な人生と、ギター製作家としての並々ならぬ思いを聞かせていただきました。

ギター製作家になるきっかけは何ですか。
 最初はギターの演奏家になりたかったのです。17歳の頃、職場の先輩が昼休みに弾くギターの演奏に魅せられて、私もギターを弾くようになり、練習するうちに演奏家への夢を抱くようになりましたが、有名なオーストラリア人の演奏を聴いて、限界をはっきり自覚しました。それからの数カ月間は、自分の将来を模索する日々が続きましたが、亡くなった父が家具職人だったことを叔父から聞き、演奏家になれないのなら、製作家になろうと決心し、22歳になった数日後東京へ行き、日本で有名なギター製作家である河野賢先生の門を叩きました。修行は厳しいものでしたが、いろいろな勉強をさせてもらいました。
フランス留学のきっかけは何ですか。   
 その頃、工房には海外からのギターの修理依頼がたくさんありました。やはり伝統に基づいて作られたギターは、すばらしい音の響きと表現力を持っていると感じた私は、ヨーロッパ留学をしたいと思い始め、大阪で独立をし、心に留学の思いを持ちながら、1台1台悔いのない製作をしていました。そんな時、ある音楽祭で19歳の青年が新人賞第1位になったのですが、彼が使用していたのが私のギターでした。この出来事がきっかけとなり、国際ギター製作家のロベール・ブージェさんとの出会いに発展していったのです。
留学先で印象に残ったことは何ですか。
パリのブージェさんのお宅を訪ねた時、ブージェさんは笑顔で迎えてくれました。私のギターを時間をかけてじっくり見て試奏した後、「あなたが全部分かった」と言われたのです。そして言葉も分からず戸惑っている私に「もっとエレガントな音楽表現のできる音が作れます」とも言ってくださいました。ブージェさんの温情で、フランス語学校にも行かせてもらい、私はブージェさんと話したい一心で一生懸命勉強しました。
ギターを製作する過程で、必要なことは何ですか。
 ブージェさんは、「技術だけではギターは作れない」「音作りのデッサンができなければ、音楽表現はできない」など音作りの精神を私に教えてくれました。感性を膨らませて何かを創る。そいう人間を育てたいと思われていたようです。私は木と対話しながら、私の精神とエネルギーをギターに注ぎ込みました。
マツムラギターの原点は何ですか。
 ブージェさんから「最高の芸術作品は何ですか」と聞かれ、答えに困っていると「それは人間です」と言われました。人間は最高の芸術作品です。それを高め育てるのは自分自身であることをいつも念頭に置いています。
次世代に伝えたいことは何ですか。
 もの作りに必要なことは、まずあらゆる素晴らしい物事に感動しその素晴らしさを考えることです。そこからイメージ、自己意識、自己表現などをしていきます。これらを考えると社会にも通じるものがあります。自分の感性やオリジナルな考え方を大切にしてほしいと思います。
松村さんにとって「生涯学習」とは何ですか。
 マツムラギターの音作りの完成が私の生涯の課題です。ブージェさんは「人の命は短いが、私のギターは300年の後まで美しく鳴り響くことでしょう」と言われましたが、私もそんなギターを目指していきたいと思います。また、音楽を通じて文化活動に参加し、多くの人たちとの出会いと対話の場から絆を育てていくことも私の「生涯学習」だと思っています。
 最後に、ブージェさんが亡くなる前年に、私に語ってくださった話を言い添えておきます。
 「すべてが揃っている素晴らしい作品や演奏は、目立つものが少なく静かでエレガントである。見れば見るほど、聴けば聴くほど、知れば知るほど深さが見えてきて、その人たちの心を豊かにし、感性と想像力が高まってくる。人間は自然にはなれない。しかし自然と友だちになれば近づくことができる」



さかな2
ひたむきに話される松村さんの熱い心に触れ、感動で胸がいっぱいになり、お礼の言葉も忘れてしまいました。世の中の繁栄とともに忘れがちになる人としての本質を考えさせられました。

阿曽

やさしくおおらかな中にも、確固たる哲学を持っておられる松村さんに感服して、時間がたつのを忘れて聞き入ってしまいました。

西村