『まなびどり』編集ボランティアは、茨木市内の自然歩道や街道などを実際に歩き、四季折々の自然をお届けしてきました。
 今回は、昨年に紹介した西国街道に続いて、茨木市内を通る街道とその周辺を歩いてみることにしました。



茨木街道の起点にある道標

 茨木街道は、宿川原町の郡山宿本陣(椿の本陣)近くで西国街道から分岐して東へ進み、郡小学校、高橋の交差点を通り、安威川にかかる先鉾橋を渡って鮎川に入り、高槻市玉川から大塚町に至る道です。
 『まなびどり』編集ボランティアは、茨木街道とその周辺、約11kmを昨年の10月上旬に歩いて取材をしました。

 阪急茨木市駅9:15発の阪急バス郡山団地行に乗車し、JR茨木駅を経由して宿川原バス停に9:40に到着。バス停から西国街道を南へ少し行く。郡山宿本陣(椿の本陣)の手前、宿川原町1番の角の道標に、「茨木街道 茨木 三島江 枚方道」とある。郡山団地に通じる道路を越え、郡山二丁目に入る。コスモスやススキ、ムラサキシキブなどを見
ながら郡小学校の正門前に出る。 (10:05着1,140歩)
 郡五丁目あたりで道祖本街道と離れ左へ行き、郡四丁目で亀岡街道と合流し南へ。郡神社へ立ち寄り小休止する。天児屋根命 、素盞嗚尊 が祭られており、静かで清潔なたたずまいであった。

(11:03着5,130歩)


郡神社

 街道に戻り、昔の風情が残る静かな道を進み、名神高速道路をくぐると上穂積だ。四丁目と二丁目の境で亀岡街道から離れて左へ行く。府道を越え、府立茨木工業高校(茨木工科高校)の前に出る。かつてはここに倍賀池があった。                
 高校の手前を右折して南へ行くと春日神社に着く。天児屋根命を祭り、国の重要文化財である鎌倉時代の石燈籠があることはよく知られている。

(11:45着7,760歩)


春日神社の石燈籠


 春日神社を後にして、保健医療センターを過ぎ春日商店街を歩いていくと、JR茨木駅のガードに出る。通りに出て阪急茨木市駅へと進むが、途中、市役所前の中央公園の木陰で休息し、語り合いながら昼食を取る。                

(12:13着9,940歩)

 高橋の交差点には、「右 茨木停車場 左 大阪」と刻まれた大きな道標がある。交差点を越えるとすぐ左に茨木神社がある。初詣、十日戎、茅の輪くぐりなどに多くの人が訪れる。

 茨木神社の前の道を東へ進んでいくと、前方に東本願寺茨木別院の堂々とした本堂の屋根が見える。ここは、大相撲春場所の宿舎となっていて、その時期には、近辺でまげを結ったお相撲さんを見かけることがある。
 本町商店街に入り北上する。道路東側の民家の壁に 半分埋め込まれた道標を見つけた。「右 京 八幡 三島江 唐崎 富田 高槻」とあった。

(13:15着12,120歩)

 北進する茨木街道支線と離れて東へ進む。ガードをくぐり道を左にとると中村町である。延喜式内社の一つである牟禮神社へ立ち寄る。祭神は、建速素盞嗚尊、天児屋根命となっている。

     (13:30着13,460歩)

 阪急高架ガードに戻り中津町、寺田町へ。先鉾橋の手前で下流へ進む。五十鈴橋を越えて少し進むと、五十鈴町の溝咋神社がある。

     (14:20着14,240歩)


高橋の交差点(西南部)にある道標


 延喜式内社である溝咋神社は、参道両側が松並木で、媛蹈鞴五十鈴媛命(神武天皇の皇后)、溝咋玉櫛媛命、溝咋耳命などが祭られている。
 先鉾橋に戻り、安威川を渡る。鮎川の交差点を越えてからは車の多い府道を避けて、左側の田んぼの見える細い道を白川一丁目まで行き、白川小学校で右折して府道に出る。少し行くと茨木市と高槻市の境に架かる玉川橋に到着した。

       (14:55着16,960歩)

 玉川橋を越えた右側の堤が、高槻市の「玉川の里」である。この川沿いは卯の花が名高く、松尾芭蕉の「卯の花や暗き柳のおよびごし」の句碑が建っている。今は両側が桜並木で四季を問わず絶好の遊歩道になっており、花見の頃には多くの人でにぎわう。
 すぐ近くの玉川橋団地バス停15:28発の京阪バスJR茨木駅行に乗車し、帰路に着いた。史跡などへの寄り道分も入れた合計歩数は約17,500歩、約11km、約5時間のウォーキングだった。


溝咋神社

 
 
 
 
 今回歩いた道は、車の交通量が非常に多かったため、注意して歩きました。道標や神社などの史跡を巡りながら歩いていると、当時の町の様子が浮かんできて、想像の世界に浸ることができました。  
 
 
 
 
 
 
 
 


担当:阿曽 西村 野間 林田 宮崎
俳句:阿曽 地図:宮崎