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 茨木市内には、古くからいくつかの街道が通っています。      
 『まなびどり』編集ボランティアは、昨年に紹介した西国街道に続いて、茨木市内を通る街道とその周辺を歩いてみることにしました。




赤才へ向かう途中の山道

 妙見街道は、かつては能勢妙見宮への参詣道でした。今日では、芥川から塚原、桑原を経て国見峠を越えて泉原に至る間の呼称となっています。
 今回は1月下旬に、千提寺口バス停から安威の塚原口バス停までの約8qを、周辺の神社などに寄りながらゆっくり歩きました。

 1月28日。小雪の舞う中、阪急茨木市駅8:55発の忍頂寺行阪急バスに乗車し、千提寺口バス停で下車。

(9:40着)

 舗装された道を少し戻ると、道沿いに小さな古い道標があった。地図に従ってなだらかな上り坂を東へ5分ほど歩くと、国見峠への標識がある。細い山道に入り泉原への分岐を示す道標を過ぎると、妙見宮の鳥居が道路の真ん中にどっかりと立っていた。この辺りが一町田である。

(10:00着)

 周辺には石燈籠、お題目が刻まれた石碑などがあり、妙見信仰の深さがうかがえる。辺りの木々をふと見ると、ウメがつぼみをつけビワにはひっそりと花が咲いていて、寒さの中にほんの少し春の息吹を感じる。しばらく歩くと
赤才に着いた。

(10:25着)


妙見宮の鳥居

分岐の道標「左 いづはら 右 妙見」

 落ち着いた集落を歩いていくと分岐点があり、東に進む。しばらくして古木や大樹の多い林に入る。体がリフレッシュしてくるのを感じながら歩いていくと、大岩八幡神社に着いた。

(10:45着)

 大岩八幡神社の本殿前には、茨木市最大で高さ約2.5mの五輪塔があり、市の文化財に指定されている。
 大岩の分岐点で清阪街道と合流。石河公民館を過ぎたところに常夜燈があった。塔身部分の正面に「常夜燈」、右側に「往来安全」、左側に「元治二丑歳四月建之」、裏面に「能勢妙見、八大龍王」と記されている。基礎部分の上段正面には「他力」の2文字が刻まれていて、道中の安全を見守っているようだ。  

 山手台七丁目の三差路を東に進み、安威川ダム情報交流センターに立ち寄る。並木道を通って国見台公園で昼食を取った。             (11:55着)

大岩八幡神社の五輪塔(中央)

 ゴルフ場のわきを通り桑原運動広場を過ぎて、近くの地福寺に立ち寄る。山門の右側に、茨木市の指定文化財である天正八年銘の六地蔵板碑と天正九年銘の十三仏板碑、大阪府指定文化財で鎌倉時代の石造五重塔がある。地福寺を出てしばらく歩くと桑原橋バス停付近に着いた。

          (14:20着)

 この付近には数体の石仏があり歴史を感じる。長ケ橋(表紙写真)を渡り高槻市との境の一ノ井堰(安威川に造られた井堰で、安威川右岸の安威村や上中条村など11か村に水を送り、田畑をうるおしていた)を西へ行くと、阿為神社と大念寺がある。阿為神社では昨年、新社殿の落成を祝い、「蹴鞠の会」が行われたと聞いている。
 近くの民家にそびえるイチョウの大木に感嘆の声を上げながら歩いていくと、終点の塚原口バス停に到着した。      

(14:40着)

国見の常夜燈

地福寺の十三仏板碑・六地蔵板碑・石造五重塔

 
 
 
 
 今回は、一般とは逆に千提寺口バス停から歩きました。ほとんどがゆるやかな下り坂で、途中に神社や寺、古い石の道標、石燈籠、井堰、大きな古い木などがあり、歴史の重みを感じつつ、ゆったりとした一日を過ごしました。  
 
 
 
 
 
 
 
 


担当:阿曽 西村 野間 林田 宮崎
俳句:阿曽
地図:宮崎