各地に民話・伝説があるように、茨木にもいくつかの話が残されています。
 茨木市では、昔から語り伝えられている話や古典・古記録に残されていた茨木に関係する話を集めて、「わがまち茨木 民話・伝説編」に掲載しています。
 今回は、その中の2編を紹介します。

亀岡街道とその周辺

 亀岡街道は、大阪市から吹田市に入り、茨木市の宇野辺から穂積、郡を通り中河原で西国街道と交差します。さらに北上して佐保、泉原、上音羽を経て、京都府亀岡市に至る道です。
  今回は4月下旬に、上音羽バス停から千提寺口バス停前を通り、上福井バス停までの約11Hを、周辺の史跡などに寄りながら歩きました。


上音羽〜泉原

 4月22日、阪急茨木市駅9時42分発の忍頂寺行阪急バスに乗車し、千提寺口バス停で希望ケ丘行のバスに乗り換えて、上音羽バス停で下車する。
  バス停前の道を歩いて戻ると、倶楽部前バス停手前に、磨崖仏への案内板が立ててあった。菜の花を見ながら鶯の声を聞きながら10分ほど歩くと磨崖仏に出合う。用水路の側にある杉の木が目印だ。
  高さ2m60B、幅約6mの自然石に、28体の立像を線刻に近い彫法で彫ってある。案内板によると、桃山時代のもので、村人たちが現世があまりにも厳しいので、来世に望みを託して生きている間に自分自身の姿を描こうと石に彫ったらしい。
 再び街道に戻り桜の苑に向かう。市街地ではすでに散った桜が、ここではちょうど見頃。気のせいか、花が控えめで清楚に見えた。
 東海自然歩道と交差する東南の角には、高さ約3mの「妙見大士」と記された石塔があり、妙見信仰がこの辺りにあったことを教えてくれる。付近には桜並木も見られ、昼食前の疲れを癒してくれた。



左:上音羽口バス停付近の街道沿いの桜  右:磨崖仏

泉原〜馬場

 13時20分、昼食をすませ再び歩く。泉原の棚田では、田植えの準備にいそしむ人の姿がちらほらと目に入った。所々に点在する桃の花が鮮やかで美しい。
 消防署北辰分署を過ぎ、千提寺口バス停、泉原バス停の前を通る。季節柄、民家の庭に大きな鯉のぼりが泳いでいる。JA茨木市清渓支所を通り過ぎた右に、生垣に囲まれた忠魂碑が建っていた。
 佐保川のせせらぎの音を左に聞きながら下ると、免山バス停付近に「緑と清流 佐保川」の石碑が建っている。すぐ側に「アドプト・リバー・佐保川」と書かれた標識があり、この辺りの人々が川を大切にする気持ちが伝わってくる。
 庄之本橋を渡りしばらく歩くと、「椿山」と小さく書かれた案内板がある。ここを左折すると椿で有名な山があるが、私有地のため立ち寄らずに先に進んだ。  4月下旬だというのに、民家に植えられた南天の木に、赤い実がたくさん付いている。家の人に尋ねると、いつもは2月初めに野鳥が来て実を食べてしまうのに、今年はなぜか来なかったので、まだ実を付けているのだそうだ。それにしても見事な南天の生垣だった。


馬場〜上福井

 15時48分、馬場のバス停付近で「佐保栗栖山砦」の案内板を見つける。標高184mの栗栖山に築かれた連郭式の砦で、東西200m、南北100mの範囲に遺構が残されていて、戦国時代頃に築かれたと考えられているが、築造者についてはわかっていない。聞いてみると道が険しいようなので、残念ながら行くことを断念した。
 佐保川を左に街道をどんどん南下する。途中、竹藪がたくさんあった。
  高木山バス停を過ぎ市街地へと目を向けると、白と赤の高い塔が目に入る。平地が近いことを実感する。上福井バス停はもう間近である。
 16時45分、全員元気に上福井バス停に到着した。


左:南天の生垣  右:「栗栖山砦」の石標
 山の桜は満開。雪柳に深山つつじ、澄んだ空気に包まれて、川のせせらぎを耳にしながら歩きました。
 また、渓谷で瑠璃色の鳥に出合い感激。宝石にも似たその色の美しさが、脳裏に焼き付いて離れませんでした。