市民インタビュー

第29回

 茨木市民の中からいきいき生活の達人を探し出し、紹介するコーナーです。話から見えてくるその豊かな人生に、あなたもきっと勇気づけられることでしょう。

西洋古典鍵盤楽器のコーディネーター

  井岡 妙さん(いおか たえ)


 ベルギーの音楽祭でチェンバロの音色に強くひかれ、日本での普及を思い立つ。
 大学などで西洋鍵盤楽器とその和声の講義を担当し、現在は普及活動と共に西洋古典鍵盤楽器にかかわるコーディネーターも行っている。


チェンバロなどの鍵盤楽器について教えてください。

 モーツァルトの時代(18世紀後半)、ピアノはまだ現在のようなものではなく、フォルテピアノと呼ばれていました。チェンバロは、それ以前の17、18世紀初期のバロック音楽隆盛期からヨーロッパ各地でクラヴィコードと共に盛んに演奏されていました。これらの鍵盤楽器の総称をクラヴィーアと呼んでいます。
 チェンバロは、鍵盤を押すことでジャックの先についている爪のようなものが弦をひっかけて音を出します。国や地域によって呼び名が違い、イタリア・ドイツではチェンバロ、イギリスではハープシコード、フランスではクラヴサンと呼んでいます。ピアノより力を必要とせず、それほど技量がなくても十分に楽しめます。宮廷で用いられていたことから、チェンバロの音響板の上や上ぶたの内側には、宮廷風の装飾が施されています。


チェンバロとの出合いを教えてください。

 妹(井岡みほさん:チェンバロ・フォルテピアノ奏者)がドイツに音楽留学し、ピアノとチェンバロを専門に勉強していました。私がそこへ訪ねていった時、たまたま近くのベルギーで行われていたチェンバロのフェスティバルで演奏を聴き、その音色に強くひかれ、チェンバロにかかわる仕事がしたいと思いました。いつもピアノで聴いていたバッハやモーツァルトの音楽が、チェンバロやフォルテピアノで聴くとまるで違った雰囲気を醸し出しているのに驚きました。


当時の音楽は、主にどのような所で演奏されていたのですか。

 16・17世紀と18世紀初期は、宮廷のサロンや富裕層の家で演奏されていました。多くは主人の気に入った音楽を演奏していました。バッハもチェンバロ、クラヴィコード、オルガンを使って演奏していました。 


このような鍵盤楽器がやがてピアノに変わっていったのはなぜですか。

 音楽の大衆化が大きな要因ではないでしょうか。
 人々が音楽に求めるものが時代と共に変わっていき、それに従って音楽様式も変わっていきました。宮廷のサロンなどでの演奏から劇場などのより大きな空間での演奏に変わっていくと、チェンバロなどの音量では隅々まで届かなくなり、よりダイナミックな音が出るピアノへと変わっていったのだと思われます。


チェンバロなどの代表的な作品を教えてください。

 バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」・「フランス組曲」、クープランの「クラヴサン曲集」、ラモーの「コンセール形式による曲集」などです。どれも心が洗われるような曲です。 



今までの活動で印象に残っていることは何ですか。

 私は、何種類もの鍵盤楽器を持っているので、世界的な演奏家がそれらの楽器を弾きに、私の所へやって来ます。そのような世界的な演奏家と出会い、話をしたひとつひとつが心に残っています。また、その方たちの演奏も印象的です。私は、演奏にはその人の考え方や生き方などが表れると思っています。



井岡さんにとって「生涯学習」とは何ですか。

 私たちは、学校を卒業すると「学習」することが少なくなります。しかし、自分の仕事に関係があるものでも、まったく仕事に関係がなく楽しめるようなものでも、何か一つ、自分の興味のあるものを見つけて「学習」してほしいですね。どこで自分の才能を発見できるかわからないし、そこでの人との出会いが人生の可能性を広げてくれるかもしれません。とにかく、前向きに学んでいくことです。