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 茨木市内には、古くからいくつかの街道が通っています。
  『まなびどり』編集ボランティアは、茨木市内を通る街道とその周辺を歩いてみることにしました。

 


清阪街道とその周辺


大岩八幡神社の五輪塔

清阪街道は、明治25年以前は亀岡街道と呼ばれていた街道で、東福井三丁目で現在の亀岡街道から分かれて、大岩、忍頂寺、下音羽、清阪峠を越えて亀岡に至る道です。
 今回は、下音羽から清阪峠、再び下音羽に戻り、忍頂寺、大岩を通って旧街道に入り、国見峠緑地を経て旧起点の東福井二丁目までの約12・を、周辺の史跡などを訪ねながら歩きました。

清阪峠〜忍頂寺

 10月7日、すっきりしない空模様の中、清阪峠を目指して歩き出す。峠までは約45分と想像以上に時間を要した。時計は11時30分を指していた。亀岡市と茨木市の境界にある道標は明治9年に立てられたもので、「従是南摂津国 大阪府支配所 従是北丹波国 京都府支配所」と2行に書かれていた。
  来た道を戻る。車1台が通れる程度の峠道を下っていくと木立の間からは棚田が見え、清阪集落近くのコスモスや栗拾い・芋掘りの案内板が秋を感じさせる。下音羽にある見山郵便局の脇道を北へ入ってすぐの石段を上ると高雲寺がある。ここにはキリシタン墓碑2基があり、案内板によると、手水鉢の台石やくつ脱ぎ石になっていたそうだ。禁教令の厳しさと信仰の深さが偲ばれる。
府道に戻り見山公民館を過ぎて約100mの所に、竹炭の窯があった。あいにく窯には火が入っていなかったが、ご厚意で窯を見せてもらう。竹は10年くらいのものを使用し、2日間燃やし続け時間が来るとふたをして酸素を遮断する。その工程で竹酢液ができるそうである。
  窯の見学中に激しく降っていた雨も上がったので、忍頂寺スポーツ公園・竜王山荘まで歩き、13時、遅い昼食を取った。 

清阪集落近くに咲くコスモス

高雲寺のキリシタン墓碑

 

忍頂寺〜大岩

彼岸花が咲く棚田
 13時40分、竜王山への階段付近に戻り、大岩方面へと歩く。道路わきの休耕田には、過ぎ去った夏を惜しむかのように、たくさんのひまわりが風に揺れていた。さらに歩いていくと、山側には珍しいかやぶきの民家が見え、反対側には棚田が続いていた。稲の刈り入れを間近に控えた豊かな里山の風景に、ゆったりとした時間の流れを感じる。下った道から棚田を見上げると、緑の草の中に真っ赤に咲いた彼岸花と、雲間から差す日の光を受けて黄金色に輝く稲穂が交互に幾段も続いていて、秋そのものの風景である。 
  キリシタン遺物史料館方面への道を西に見ながらさらに歩いて大岩八幡神社を目指す。大岩郵便局を過ぎて石河駐在所を集落の方へ200mほど行った所に、大岩八幡神社があった。この神社には、室町時代に建てられた高さ約2.5mの五輪塔がある。案内板には、文安2年(1445年)に勧進僧のすすめで、84,000人もの人々の結縁によって建立されたと記されている。 13時40分、竜王山への階段付近に戻り、大岩方面へと歩く。道路わきの休耕田には、過ぎ去った夏を惜しむかのように、たくさんのひまわりが風に揺れていた。さらに歩いていくと、山側には珍しいかやぶきの民家が見え、反対側には棚田が続いていた。稲の刈り入れを間近に控えた豊かな里山の風景に、ゆったりとした時間の流れを感じる。下った道から棚田を見上げると、緑の草の中に真っ赤に咲いた彼岸花と、雲間から差す日の光を受けて黄金色に輝く稲穂が交互に幾段も続いていて、秋そのものの風景である。 
  キリシタン遺物史料館方面への道を西に見ながらさらに歩いて大岩八幡神社を目指す。大岩郵便局を過ぎて石河駐在所を集落の方へ200mほど行った所に、大岩八幡神社があった。この神社には、室町時代に建てられた高さ約2.5mの五輪塔がある。案内板には、文安2年(1445年)に勧進僧のすすめで、84,000人もの人々の結縁によって建立されたと記されている。

 

大岩〜東福井

 

真龍寺のD51
 
石河駐在所まで戻り、府道に出て約20分歩き、街道を離れ旧街道に入る。 
 山手台七丁目のバス停、安威川ダム建設事務所を過ぎて少し行った所に国見峠緑地がある。藤棚の葉が所狭しと伸びていた。雨も上がり晴れてきた峠からはくっきりと市街地が見えた。山手台中央公園付近には「おさん茂平」(本誌前回号で紹介)の案内板がある。ここには、移築された初田1・2号墳と長ケ淵古墳群のうちの1基もあった。
 山手台公民館を過ぎて明るい住宅地から、木立に囲まれた薄暗い山道に入る。20分ばかりで抜けると、福井の真龍寺の西側に出た。お寺の境内には、D51が置いてあった。
 来た道を戻り、新屋坐天照御魂神社へと向かう。境内では、秋の祭りの準備に8人ほどの若者が忙しそうに働いていた。  
 神社を後にして府道を横切り、旧起点である東福井二丁目付近で今回の行程を終える。
 時計は16時40分を指していた。 石河駐在所まで戻り、府道に出て約20分歩き、街道を離れ旧街道に入る。 
 山手台七丁目のバス停、安威川ダム建設事務所を過ぎて少し行った所に国見峠緑地がある。藤棚の葉が所狭しと伸びていた。雨も上がり晴れてきた峠からはくっきりと市街地が見えた。山手台中央公園付近には「おさん茂平」(本誌前回号で紹介)の案内板がある。ここには、移築された初田1・2号墳と長ケ淵古墳群のうちの1基もあった。
 山手台公民館を過ぎて明るい住宅地から、木立に囲まれた薄暗い山道に入る。20分ばかりで抜けると、福井の真龍寺の西側に出た。お寺の境内には、D51が置いてあった。
 来た道を戻り、新屋坐天照御魂神社へと向かう。境内では、秋の祭りの準備に8人ほどの若者が忙しそうに働いていた。  
 神社を後にして府道を横切り、旧起点である東福井二丁目付近で今回の行程を終える。
 時計は16時40分を指していた。

 棚田の草の緑、彼岸花の赤、稲穂の黄色、森林の濃い緑。そのコントラストはまるで額縁に入った絵のようでした。
 秋の茨木の山里は、美しい!