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 茨木市内には、古くからいくつかの街道が通っています。
  『まなびどり』編集ボランティアは、茨木市内を通る街道とその周辺を歩いてみることにしました。

 


道祖本街道とその周辺


 道祖本街道は、箕面市粟生から茨木市宿久庄へ入り、宿川原、郡、西河原、総持寺を経て、高槻市富田へ通じる道です。
  今回は、箕面市との境界の川合橋(勝尾寺川)から高槻市との境界の総持寺二丁目までの約10qを、周辺の史跡などに寄りながら歩きました。

豊川〜宿川原

 

1月13日 快晴。1月としては穏やかな日差しの下、JR茨木駅バスターミナルに集合する。9時5分発の阪急バス石橋行に乗車し、9時25分に豊川バス停で下車する。 
 勝尾寺川に向かい北進すると東側に豊川小学校、西側に新屋坐天照御魂神社がある。新屋坐天照御魂神社はここのほかに福井、西河原にもある。9時50分、今回の出発点である川合橋に到着する。
  川合橋を渡り、勝尾寺川に沿って東へ進む。昔を偲ぶ「古」を探しながら舗装された道を歩いていくと道の北側に道標があるのを見つけた。勝尾寺への道を教える道標だった。鳥羽バス停を過ぎると須久久神社の鳥居が見える。道をはさんで南側には題目の書かれた石碑が立っていた。
 この辺りは、田園風景の中に新しい住宅、学校や企業のコンクリートの建物などが混在している。
 藤の里二丁目の倉庫会社の北側の狭い道路を東に進み、突き当たりを化成工場の東側に沿って南下し、国道171号に出て、宿川原へ向かう。
 


 

宿川原〜郡


 10時30分、国道171号を横断して宿川原に入る。勝尾寺川に架かる巡礼橋を渡るとすぐに西国街道に合流する。巡礼橋は茨木市に二つあり、もう一つは後で渡る茨木川に架かっている。宿場町を偲ばせる町並みを歩いていくと道路がアスファルトから石畳に変わり、史跡 郡山宿本陣(椿の本陣)が見えてくる。西国街道の宿駅は5か所あって、郡山宿駅はその中間に位置し、大きな駅として本陣が置かれ重要視されていた。
  本陣の門を入って左側に「椿の本陣」の由来となった椿の木(二代目)が植えられている。
  10時50分、本陣を後にする。茨木街道に入って郡小学校を南東に進み、突き当たりを南へ折れてしばらく歩く。民家の庭に植えられた木に、赤い実がたわわになっているのが垣根越しに見えた。しばらく歩くと郡神社の石の鳥居が見える。

 

郡〜総持寺

 

 
 11時55分、郡神社の常夜燈を東へ折れて再び国道171号を横断する。茨木川堤まで出て右岸を川下に進む。名神高速道路のガードをくぐり、五日市の巡礼橋を渡り左岸を南へ歩く。川の水量は少なく、河川敷には茶色の枯れ草があたり一面を覆っている。みたび国道171号を横断して、左岸を下り三咲町に入る。改修(拡幅)中の府道をくぐって東進し、安威川に架かる西河原橋を渡る。西河原公園を横切って東へ進む。
  12時35分、三島中学校正門前を通りマンション横をしばらく歩くとJR東海道線に突き当たる。街道はここで途切れている。府道まで戻りJRのガードをくぐってから線路に沿って緩やかな坂を上る。さらに東へ進んで総持寺を目指す。
  12時50分、西国二十二番札所である総持寺境内に入る。総持寺では毎年4月18日に包丁式が行われ、当日は、大勢の人が見物に訪れる。朱色の山門はひときわ目立つ。
  総持寺の東門を出て東に進む。総持寺二丁目を抜けると阪急京都線の線路脇に出る。高槻市の住所表示が目に入る。時計は13時30分を指していた。
  ちなみにこの街道は、巡礼の通行が多かったので、総持寺以西を巡礼街道とも呼び、五日市、宿川原にある二つの橋が巡礼橋と呼ばれたともいわれている。

この街道は、国道や府道と何度も交差しており、後から開通した国道や府道と比べると、
街道とは名ばかりの路地のような狭い道もあり、何回も迷いながらの行程でした。