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 茨木市には、北の山間部から南の平野地へ流れる川とその支流がいくつもあります。     
 『まなびどり』編集ボランティアは、これらの川に沿って歩き、時々に移ろう川の趣や、その周辺の自然や史跡などを取材しました。
地元の人が「又地蔵」と呼んでいるお地蔵さま

 今回は、銭原バス停から見立(げんだち)ダムへ行き、そこを起点にして銭原クラブ前バス停を経由し、下音羽を通って忍頂寺バス停までの約6kmを、周辺の史跡などに寄りながら歩きました。

 4月21日曇天。阪急茨木市駅バスターミナルから9時42分発の阪急バス忍頂寺行に乗車する。忍頂寺バス停で余野行に乗り換えて、10時50分、銭原バス停で下車する。澄み切った空気に鳥のさえずりが響き渡り、辺りを見回すとサクラの花がまだ咲き残っている。そこから南東へ約100m歩くと三差路に大きな杉の木があり、その根元には数体のお地蔵さんが鎮座している。地元の人は「又地蔵」と呼んでいる。
 11時35分、引き返して、青少年野外活動センターに隣接する見立ダムに向かう。途中に集落があり、田んぼの真ん中には小さな森がある。その周辺に数軒の民家が見えた。遠くからトラクターの音が聞こえてくる。一部の田んぼには早くも水がはられていた。
 春の風景の中を進んでいくと、右側に見立ダムが見えてきた。ここを原点として水の旅が始まり、絶え間なく流れる川となる。所々にクレソンらしき野草が自生している。

見立ダム
 クラブ前バス停の南側で西方からの流れと一つになり、川は野草で覆われた石垣にはさまれ、里らしい趣のある流れに姿を変える。遠くを見ると、緑に映えた棚田が美しい。

銭原の棚田風景


 12時15分、車川庄バス停の手前を北側に折れ、坂道を約100m上る。木立の脇を入ると絶海国師隠棲地の石碑がある。絶海は、五山文学を代表する偉大な学僧である。すぐ横には、絶海が使ったといわれている苔に覆われた石槽(石風呂)が置かれてあった。
 12時35分、坂道に戻り、民家の大きなカヤの木を眼下に望む。枝振りが美しい。再び川を右に見ながらしばらく南下する。道路の右側の民家への通路に、見事なツバキ(緋乙女椿)の木が2本ならんでいた。数多くの太い枝が360度方向に広がり、赤い花を付けている。
 13時05分、「de 愛・ほっこり見山の郷」に到着する。ここで、上音羽、銭原、長谷方面から流れてきた川が合流して下音羽川となる。

 遅い昼食を済ませた後、店長さんに話を聞くと、見山地区の農家で生産された新鮮な野菜は午前中にはほとんど売り切れ、特産の竜王みそは生産が追いつかないほどの売れ行きだそうである。また、この近辺はホタルの生息地で、たくさんのホタルが飛び交う風景は、夏の風物詩になっているとのことである。

絶海国師が使ったといわれる石槽


 13時45分、見山の郷を出発する。北西へ100mほど歩くと、隠れキリシタンの遺物が発見された民家が見える。案内板によると、大正11年、この民家の納屋から厨子入象牙彫キリスト磔刑像が発見されたと記されている。近辺には、耕地整理された土手一面にアジサイが植えられている。花の咲く頃にまた訪れてみたい。
 来た道を戻り下音羽バス停を南に入ると、3mほどの川幅に、流れに沿って30cmおきに、長方形の積み木のような橋桁だけが並んだ橋がある。地元の人は「ピョンピョン橋」と呼んでいるらしい。童心にかえってピョンピョン跳びはねて向こう岸へ渡り、また戻ってくる。楽しさがこみ上げてくる。付近に自生しているイタドリの酸っぱい味も、子どもの頃を思い出させてくれる。
 14時55分、いったん下音羽バス停に戻り北側に入る。
 左側の長い石段を上ると高雲寺に着く。境内にはキリシタン墓碑2基が置かれてあった。

 下音羽川は清阪方面へ流れるが、ここで川と別れて忍頂寺バス停へ向かう。府道から離れて山ぞいの道を歩く。ホトトギスやウグイスの声を聞きながら、気が付くと溝を流れる水は後ろへと流れていた。どうやら緩やかな上り坂らしい。南に折れて見山公民館の裏側を通り、忍頂寺バス停に着く。15時40分発のバスに乗車して今回の行程を終える。

地元の人が「ピョンピョン橋」と呼んでいる橋


 銭原や下音羽の集落には、今でも路傍の地蔵やキリシタン遺跡が数多く残されています。市街地からそれほど離れていないにもかかわらず目にする風景は、日本の原風景そのものでした。