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 茨木市には、北の山間部から南の平野地へ流れる川とその支流がいくつもあります。
 『まなびどり』編集ボランティアは、これらの川に沿って歩き、時々に移ろう川の趣や、その周辺の自然や史跡などを取材しました。
下音羽川(この左側で水路の水を取り入れている)

 今回は、下音羽バス停付近から竜王山麓を回り込むように南下し、車作大橋付近で安威川に合流する下音羽川の周辺を紹介します。車作集落までの約5.5kmを、途中、権内(深山)水路などに寄りながらゆっくりと散策しました。

 7月8日、梅雨の中休みの曇天の下、阪急茨木市駅バスターミナルから9時28分発の阪急バス忍頂寺行に乗車し、忍頂寺で余野行に乗り継いで、10時30分に下音羽バス停で下車。清阪方面へ向かう。目の前はもう下音羽川だ。岸辺も川底も自然のままの姿で残っている。しばらく歩き、道路から川をのぞくと、澄んだ水の中にどこかで飼われていたのか、金色の鯉が川面にかかる草の下に潜んでいた。山側の急斜面には、炭焼き用として枝を切り落され太い幹だけが残っている「台場クヌギ」が2本立っている。道ばたには鮮やかなピンクの花をらせん状に連ねたネジバナが可憐に咲いている。
 11時、権内(深山)水路へと向かう。北山自然歩道の道標に従って道路脇の狭い急坂を下り、清阪から下音羽川へ流れ込む支流に架かる小橋を渡る。大きな岩が目につく。草の生い茂る道の両脇には、ネムノキが花を咲かせ、大きなクルミの木には丸い実が付いている。フジの枝には、大きく長いサヤがぶら下がっていて、マタタビの葉も見える。

権内(深山)水路
 川音を下方に聞きながら、竜王山の東麓をどんどん上っていく。山はだんだんと深まり冷気が漂う。所々に木漏れ日が差し、そこだけが光り輝いている。さらに進んでいくと樹木の間から権内(深山)水路が見えてきた。

ネムノキ
(花が咲いている)
フジ(長いサヤがぶら下がっている)


 江戸時代中期、車作の庄屋であった畑中権内は、稲作のための水不足に苦しんでいた村の人々を救おうと、下音羽川から水を引き入れる水路を自力でつくった。それが権内(深山)水路である。
 11時30分、水路まで下りて取水口へ向かう。水路脇の狭い道を200mほど行くと、切り立った大きな岩が見える。その先が取水口である。この場所に立ち、水路周辺の大きな岩や急斜面を見ていると、約290年前の開削の困難さが実感できる。心に余韻を残して取水口から引き返し、車作大橋方面へと下りていく。
 12時10分、車作大橋の手前の道沿いにある「ゴンゴンファクトリー」に到着する。車作に住み、この場所を管理しておられる方に話を聞くことができた。「ゴンゴンファクトリー」は、昔盛んだった炭焼きをもう一度復活させようと、地元の人などが立ち上がってできた炭焼き施設である。現在では、里山保全活動の拠点として、また、里山と市街地との交流の場として多くの人に親しまれている。市内外の子どもたちもここを訪れて、周りの自然を楽しみながら炭焼きの文化を体験している。

 昼食後、ここで焼かれた炭を見せてもらう。切り口が鮮やかなキクの花の形をしていた。
 すぐ側を流れる下音羽川に下りて水の流れを楽しむ。この川には、天然記念物のオオサンショウウオも生息しているということだ。

ゴンゴンファクトリー の炭焼き窯
下音羽川 (水は手を切るように冷たい)


 13時40分、再び権内(深山)水路へ向かい北広場に着く。今年建てられたばかりの真新しい水路改修の記念碑が目に入る。忍頂寺小学校の児童と教職員が、畑中権内の偉業を称えて上演したオペラ「畑中権内」の歌詞が刻まれている。  
 水路の下流へと進み、一路車作集落を目指す。ここからは水路脇の道幅も広くなり、遊歩道として整備されている。しかし、東側の急斜面の先をのぞくと、樹木に覆われてよく見えないがかなり深く、安威川は下方を流れている。
 水路が終わるとサッと視界が広がり、眼下には車作の集落と棚田が広がっている。民家が立ち並ぶ急斜面を進むと、皇大神宮の石段下にある広場の左側に、権内水路の碑があった。畑中権内に対する村民の敬意と感謝が記されていた。

 バスの時間を気にしながら、車作バス停へと急ぐ。
 14時17分発の阪急茨木市駅行きのバスに乗り込み、今回の行程を終える。

権内(深山)水路改修記念碑(畑中権内の水路完成までの苦労をオペラにして上演した歌詞が刻まれている)


茨木市史に残る権内(深山)水路と豊かな自然が残る下音羽川流域。絶好のハイキングコースです。紅葉の季節だけでなく新緑の季節にもぜひ一度訪れてみてください。