13時30分、佐保川に沿って歩き、馬場へ入る。教円寺近くの共同墓地の一角に集められた石仏を見に行く。佐保クルス山から出土しここに移された約50体の石仏は鎌倉時代後期のものであるらしい。ひっそりと佇んでいる石仏に向かって静かに手を合わせその場を離れた。
ふたたび南へと歩く。佐保川は、この付近は渓流となって樹木の間を流れている。橋を渡った所に農聖小西篤好(1767〜1837)の碑が建っていた。佐保村馬場の庄屋の家に生まれた篤好は、農業の実践的な研究成果をまとめた『農業余話』2巻を刊行した。
バスが通る道に出て南下する。道路脇の畑の中に佐保栗栖山砦跡の案内板が見えた。山頂に築かれた連郭式の砦で、今も遺構が残っているという。
川は福井集落へと続いていく。流れは清流のイメージとは異なり、コンクリートで囲まれた小さな運河のような姿である。川を渡ってしばらく歩くと福井城跡の案内板があった。今は田園以外に何も見えない。
川は川床に草がうっそうと茂り、遠慮するかのように細い川筋になっている。山西橋を南に折れて耳原公園に入る。公園の池にはカルガモが羽を休めていた。
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公園を後にして、西国街道に架かる幣久良橋を渡る。橋から少し上流に勝尾寺川との合流点があり、茨木川となる。そのあたりを白井河原といい、戦国時代に合戦(白井河原の合戦)があった所らしい。
佐保川は十数kmにわたってさまざまな表情を見せてくれた。最後は、水量が減り草の間をかすかに川の面影を見せながら合流点へと流れていた。
16時30分、中河原バス停で今回の行程を終える。
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