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 茨木市には、北の山間部から南の平野地へ流れる川とその支流がいくつもあります。
 『まなびどり』編集ボランティアは、これらの川に沿って歩き、時々に移ろう川の趣や、その周辺の自然や史跡などを取材しました。
安威川に群れるユリカモメ
(向こうにサギがたたずんでいる)

(安威から五十鈴町まで)

 今回は、阪急バスの安威南口バス停から安威川に沿って南下し、茨木川との合流地点を経由して、五十鈴町の溝咋(みぞくい)神社に至る約9kmを紹介します。小雨の降る中、安威川に遊ぶ水鳥を眺めたり、川から少し離れた周辺の神社などを訪ねたりしながら、寒中ならではの散策を楽しみました。

 1月20日曇り。阪急バスターミナルから9時30分発の阪急バス車作行に乗車。9時45分、安威南口バス停で下車。道路を渡り安威川へ向かう。
 真冬の安威川の川面は冷たそうで、枯れ草も寒々しい。川面に浮かんでいる鳥たちの姿にほっとさせられる。左岸の河川敷は、ジョギング「ゆりかもめコース」(7km)の起点である。河川敷のグラウンドでは、少年野球の子どもたちが元気に走り回っていた。
 安威川を離れて太田茶臼山古墳(継体天皇陵)を目指す。太田小学校の横を抜け、名神高速道路下のガードをくぐって東に折れ、西国街道に入る。

太田茶臼山古墳(継体天皇陵)

 この古墳は、全長が200mを超える前方後円墳で、周囲には壕が巡らされている。現在、ほんとうに継体天皇陵か否かについての論議が繰り返されている。管理のよく行き届いた御陵に参拝してそこを離れた
 再び西国街道に出て西に進む。旧街道を偲ばせる白壁の民家が左右に点在する。太田橋の手前の北側が太田不動尊だ。お堂の入り口には、茨木市の保存樹2号・3号に指定されているムクノキとエノキがあった。境内には、「太田橋」と刻まれた石の欄干が1基立っていた。  

安威川に浮かぶカモ(白い鳥はユリカモメ)


 11時10分、太田橋の河川敷に下りて遊歩道を南下する。中洲に目をやると、ユリカモメやカモが羽を休めている。少し離れた所には、アオサギらしい鳥がじっと川面をにらんでいる。土手を上がり西河原市民プールの横から西河原公園に入る。ここは自然を生かした公園で、元の河川敷を利用しており、樹木が多く鳥なども数多く生息している。
 公園を離れて、西河原交差点角にある新屋坐天照御魂
(にいやにいますあまてるみたま)神社に寄る。社殿はうっそうとした林の奥にあった。この林は、茨木市の保存樹林1号に指定されている。
 南に100mほど下がると、「疣水
(いぼみず)さん」と呼ばれている磯良(いそら)神社がある。ここの井戸から湧き出る水を疣に付けるとその疣が取れるという言い伝えがある。この日も水をもらいに来る人、お参りに来る人などで賑わっていた。神社を出てしばらくすると、一対の大きな常夜燈に出合った。

 再び西河原公園の中を通り抜け西河原橋を渡る。川を南へ歩いていくと、茨木川との合流地点に着く。安威川下流の方向には、水色アーチ型の西河原新橋が、その向こうにはJRの列車が走っているのが見えた。
 昼食予定地に到着する。着ぶくれした防寒着を一気に脱ぎ、しばし寒さを忘れ昼食をとった。休憩後、外に出ると冷たい雨が降っていた。

安威川と茨木川の合流地点


 13時50分、降り続く小雨の中、安威川河川敷の右岸を歩く。堤防にはわずかな緑が見られるものの、それ以外は灰色の世界である。中洲には、ススキによく似た枯れ草の穂が白く残っている。JRの鉄橋付近の川面にも、水鳥たちが群れているのが見えた。
 この雨の中、ただ一人、傘を差して釣り糸を垂らしている人がいる。聞いてみるとフナを釣っているとのことだ。見るからに寒そうだった。この辺りは、温かくなるとジョギングやウォーキングをする人も増え、桜の頃には、大勢の花見客で賑わう所だ。しばらく歩くと牟禮神社の木々が見えた。この辺りも桜の薄いピンクで埋め尽くされるはずである。

 永久橋、先鉾橋、五十鈴橋の下をくぐり、右手の堤防を上がって溝咋神社へと向かう。
 この神社は延喜式内社で、以前は上の宮と下の宮に別れていたが、上の宮は、現在社がある下の宮に移された。媛蹈鞴五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめのみこと)(神武天皇の皇后)、溝咋玉櫛媛命(みぞくいたまくしひめのみこと)などが祭られている。100mを超える松並木の参道が印象的である。本殿横にある建物の中には古い絵馬が掛けられていた。
 15時10分、参拝を終えた神社の前で今回の行程を終了する。

溝咋神社