夏休みに出かけよう!

キリシタン遺物史料館
キリシタン遺物史料館
茨木市の文化財を知ろう!
キリシタン遺物史料館
 私たちが住んでいる茨木市には、数多くの文化財があります。茨木市の山間部、千提寺・下音羽の両地区には、キリシタン関係の遺物が残されており、その一部がキリシタン遺物史料館に展示されています。
■なぜキリシタン遺物がこの地に?
 キリスト教は、茨木地域を含む三島地方と深い関係を持っています。それは、高山右近が天正元年(1573年)から同13年(1585年)までの12 年間、高槻城主としてこの地にいたためです。右近は、キリスト教の熱烈な信者だと伝えられている大名です。右近が在城の間は、この地は日本でのキリスト教の中心地の一つでした。三島地方には、ほかにもキリシタン大名がいました。安威城主で、天正13年(1585年)に茨木城主になった安威了左
(あいのりすけ)で、キリスト教信者になった経緯などは不明です。また、その前の茨木城主中川清秀とその子秀政・秀成も洗礼を受けたと伝えられています。
 キリスト教は秀吉の時代になって禁止されます。その教義が当時の封建思想と相容れないことなどが理由でした。高山右近は領土を取り上げられ、加賀の前田家に預けられました。江戸時代に入ってもキリスト教に対する弾圧は続き、右近は遠いマニラの地に信徒たちと共に追放されました。
 徳川幕府は徹底的にキリスト教を弾圧する政策をとる一方、日本人が国外へ出ることと、外国人が日本へ入国することを厳禁するに至りました。
 信者たちは、その縁者も含めて、死罪、流罪などの厳罰に処せられ、さらにキリスト教に関係のある物品などをすべて取り上げられました。この禁教政策によって、高槻や三島地方の信者たちも隠れて信仰をしなければならなくなったのです。千提寺や下音羽に残るキリシタン遺物も、こうした隠れキリシタン信者が苦労して受け継いできた物です。
■キリシタン遺物史料館ってどんな所?
 キリシタン遺物史料館は、茨木市の市街地から離れた北部の山間地千提寺地区にあり、風にそよぐ青葉や野鳥の声などに囲まれた自然の中に建っています。近くにはキリシタン自然歩道のハイキングコースや忍頂寺スポーツ公園、宿泊施設がある竜王山荘などがあります。
 館内には、元信者の家から発見された「あけずの櫃
(ひつ)」に入れられた木製キリスト磔刑像や象牙彫マリア像、ほかには絵画、銅版画、メダル、書物などが展示されています。また、館内のビデオで、キリシタン遺物が発見されたいきさつや遺物の種類などを知ることができます。キリシタン墓碑が千提寺の山林で初めて研究家によって確認された再現映像や存命の人たちのアベマリアのオラショ(祈祷文)の話などがドキュメント風に収録されています。
 元信者の子孫の方で、館内の案内をされている東さんの話では、遺物のことは家の跡取りのみに伝えられ、ほかの家族には知らされなかったということです。踏み絵については、「もったいないから、よう踏まず、手前でこけたがかんにんしてくれた」などという話も伝え聞いているそうです。遺物の調査では、「おなわになるかも」「時代が変わって今は宝物だから」などと揺れ動く思いがあったことを聞かせていただきました。
 
十字架入りおわん
十字架入りおわん
信者としての心得などが書かれた書物
信者としての心得などが書かれた書物
キリシタン遺物史料館
〒568-0098 茨木市大字千提寺262
TEL 649−3443
開館  9:30 〜17:00
    (月曜日は9:30 〜12:00)
休館  毎週火曜日・国民の祝日・年末・年始
入館料 無料