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生涯学習センターきらめき講座
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生涯学習センターきらめきでは、多くの市民の皆さんがきらめき講座を受講し楽しく学習しています。 今回は、「『おくのほそ道』を読む」を担当されている小西愛之助先生と、「日韓からアジアへ・世界へ−大衆文化交流の行方(3)−」を担当されている志水紀代子先生に、講座に関わるお話を伺いました。 |
『おくのほそ道』を読む
「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」 「閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声」 「五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川」
誰もが知っているこれらの句は、『おくのほそ道』に収められています。
旅での情景を17音で表現し、独自の世界を築いた芭蕉とはどんな人だったのでしょう。
『おくのほそ道』は現代においてもなお、多くの読者を惹きつけます。その作者である松尾芭蕉について簡単に教えてください。
松尾芭蕉は1644年(正保元年)に伊賀上野で生まれました。幼名を金作といいます。父与左衛門は下級武士で姓は名乗れても禄は与えられず、農業で生計を立てていました。 芭蕉は少年のころに、2歳年上の藤堂新七郎家の良忠(俳号蝉吟)に仕えます。そこで蝉吟に俳諧の面白さを教わり、さらに、北村季吟に手ほどきを受けます。芭蕉が23歳のころ、仕えていた蝉吟が没します。その死は芭蕉に大きな悲しみを与えました。 29歳のころ、芭蕉は俳諧師として自立の道を目指し、伊賀上野を出て江戸に向かいます。 江戸で芭蕉は俳諧師としての修行を積み、弟子も増やし、たしかな地位を築いていきます。しかし、次第に自分が目指している俳諧とは異なっていることに気付きます。芭蕉は華やかな俳壇を去り、隅田川沿いの深川の庵に居を移しました。 芭蕉の生活は、鯉屋杉風などの弟子たちが支援しましたが質素なものでした。そのころ、芭蕉は仏頂禅師に出会い親交を持ちます。その後の芭蕉は旅を繰り返し、旅の途中、大阪で没します。享年51歳。 芭蕉の人生観と旅との関わりについて教えてください。 芭蕉は禅に深く共感し、老子や荘子に通じる人生観を持っていました。芭蕉は旅を人生に重ねていました。その心の焦点は死であったように思います。 人生は旅。生まれてきた者はやがて死す。『おくのほそ道』は、西行法師らの歌枕(古歌に詠まれた名所)をたどる旅であったと同時に、もう一つのテーマは死であったように思います。 『おくのほそ道』の魅力はどこにありますか。 『おくのほそ道』は、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」から始まり、最後は「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」という句で締めくくられています。その魅力は何と言っても名文であるということでしょうか。散文と句とがうまく調和し、全体がリズム感あふれるものになっています。すばらしいの一言ですね。私は最高の古典文学だと思っています。 |
先生は、芭蕉が歩いた『おくのほそ道』を実際に歩かれたそうですが、いかがでしたか。 |
日韓からアジアへ・世界へ
大衆文化交流の行方(3) |
日本では、家族関係が原因とみられる殺傷事件が度々起こり、その都度、新聞やテレビなどで大きく取り上げられています。そのことについて、先生はどのように思われますか。
親鸞は亡くなる前に「これまで多くの生命をいただいて生きてきた。自分が亡くなったらせめて遺骸を川に流して魚のエサにしてほしい」という言葉を残しました。私たちは殺生してしか生きられない。だから、頂いた生命に報いるために生きる責任があります。しかし、自殺者が10年連続して年間3万人以上もいるという現実をどう考えればいいのでしょう。豊かなはずの日本で、「利益優先、資源としての労働力」という考えが浸透して、だんだんと人々が余裕をなくしてきているように思います。親の世代の価値観は、今の時代の若者にはもはや通用しなくなり、将来に夢が持てなくなってきているからでもあります。 |
日本では、韓国の俳優が人気を博し大きなブームになりました。この現象の意味は何だと思われますか。
日本の特に中高年の女性たちが、「冬のソナタ」をきっかけに、ハングルを勉強し、韓国文化を学び、韓国旅行をするようになりました。主役のペ・ヨンジュンの外面のみならず内面からにじみ出る端正で美しい品性が人々のハートをつかみ引き起こしたこの大衆文化の交流は、100人の外交官にも勝る出来事でした。そして、多くの日本人がアジアの国々のことをもっと知りたいと思うようになりました。自分たちがアジアの一員であり、アジアという共同体の中にいるのだということも再認識しました。また、ペ・ヨンジュンがファンのことを「家族」と呼ぶことから、自分のもっとも身近な「家族」を考えるきっかけにしていくことができました。 今後の日本の家族の在り方について、先生のお考えを聞かせてください。 今、人々の活動の場は広がり、生き方もずいぶん多様になりました。従来の日本の「典型家族」とみなされてきたモデル(例えば、父親の権限が大きく、それが家族としてのまとまりだと考えられていた)も今や多様な理想像の一つに過ぎません。これからは、多様化している人々のライフスタイルに合わせて、自分にとってもっともふさわしい、生きる喜びや生きがいを感じられる生き方を模索していく必要があるでしょう。あるべき家族の核になるものは、決して新しいものではなく、人間が人間らしく信頼関係を構築しつつ生きていくという至極当たり前のことです。私たちが個々に自立した大人としての意見を持ちながら、連帯・連携し、絆を深めていくということではないでしょうか。 |