元茨木川緑地に戻り南へ進んでいくと、ここにも橋跡があった。「寺町橋跡」と記されている。この交差点から、茨木高校の東門近くにある「茨木童子貌見橋」の碑へと向かう。
案内板には、茨木童子が自分の姿を川面に映し、自分の顔が鬼の形相になっていたことを知って丹波の山奥に退いてしまったという民話の内容が記されている。
緑地に戻る。ほどなく「柳の樋跡」に出合う。この樋は辺り一帯の水田のために役立てられていた本格的な樋だったそうだ。後に、茨木中学校(現在の茨木高校)の遊泳池(プール)にもこの樋から茨木川の水が引かれた。後に多くの水泳選手が生まれ、パリやアムステルダム、ロサンゼルスなどのオリンピックで活躍したそうだ。
この後、「宮田の樋跡」「新庄橋跡」「水尾池樋跡」などの碑に出合う。中には本物ではないが、樋がこのようなものであったということがわかるように、実物大の大きさに再現しているものもある。
|
さらに南へ進んで「あやめ橋跡」の前に立つ。この橋は小学校の通学のために昭和30年頃に造られた。「あやめ」は、当時の地名にちなんで付けられたということだ。ほかの橋と比べると新しいが、興味深いことは、茨木川は廃川になっても高い堤防があって、わずかな水の流れもあったということ。そのころはまだ昔の茨木川の面影が残っていたようだ。
|