川端康成と茨木    
〜川端康成文学館を訪ねて〜

 今年は、『伊豆の踊子』『雪国』『古都』などを著し、日本で初めてノーベル文学賞を受賞した 
川端康成の生誕110年になります。                          
康成は3歳ころから旧制中学校を卒業する18 歳まで、この茨木の地で過ごしました。   
そこで、康成の生いたちや茨木で過ごした日々などの話を伺いに川端康成文学館を訪ねました。
川端康成は大阪市北区で生まれたと聞いています。
茨木市に移り住んだ経緯を教えてください。

 両親が病気で相次ぎ他界したため、3歳で現在の茨木市宿久庄に住む祖父母に引き取られました。祖父母は、虚弱な康成を心配し大切に育てました。小学校に入学した年に祖母が他界し、目の不自由な祖父と二人きりの暮らしになりました。その3年後には、親戚に預けられていた姉も他界しました。


    
   川端康成が住んでいた宿久庄の屋敷を復元した模型

康成は、この茨木の地でどのような生活をしていたのですか。
 小学校の低学年のころは体が弱く、また、集団生活になじめずよく学校を休んだようです。しかし、高学年のころには学校生活に慣れ、体力もつき、6年生のころには一日も休むことはありませんでした。本好きで、学校の図書室の本をすべて読み尽くしていたようです。 
 明治45年(1912年)、康成は一番の成績で茨木中学校に合格します。絣の筒袖に縞の袴、脚絆を付けて下駄履きで、宿久庄から学校まで約6キロの道のりを通いました。小学校入学当時とは想像もつかない成長ぶりです。
 文学への情熱はさらに大きくなり、中学2年生のころには、祖父に小説家を志していることを打ち明けています。祖父は「それもよかろう」と許したそうです。 そのころに書いた新体詩や作文の綴りは、父親の号にちなんで「谷堂集」と題されていました(父、栄吉は医業のかたわら、漢詩文や書画に親しみ、「谷堂」と名乗っていました)。写真でしか偲ぶことのできない亡き父のことを思ってのことだったのでしょう。
 本は相変わらず盛んに読んでいたようで、与謝野晶子、島崎藤村、夏目漱石をはじめ、「源氏物語」や「枕草子」などの古典文学や外国文学にも数多く接していました。 大正3年(1914年)、康成が3年生の時、「共に生きたと思えるただ一人の肉親」であった祖父が亡くなります。『十六歳の日記』は、死に近い祖父の様子と康成の心の葛藤を記録した看取りの日記です。病人のさまざまな懇願に対する憤り、そこから逃げ出したい気持ち、祖父が亡くなってしまう恐怖などが鋭い感性で描かれています。
 孤児になった康成は、母の実家(現在の大阪市東淀川区)に引き取られ、吹田−大阪間を汽車通学しましたが、半年ほどで中学校の寄宿舎に入ることになり、卒業までを過ごしました。
 寄宿生となった康成は、ますます文学への想いを深めて習作に励みました。当時の文学少年が夢中になった雑誌に投稿したり、茨木にあった地方新聞に原稿を持ち込んだりする中で、4年生の日記には、「ノーベル賞を思わぬでもない」と、その自信のほどを綴っています。
 大正6年(1917年)3月、康成は茨木中学校を卒業し、第一高等学校の受験準備のためにこの地を離れ上京しました。


     
        川端康成文学館の正面にある文学碑
                  (随筆「茨木市で」より)

康成が過ごした場所、訪れた場所を教えてください。
 康成が過ごした宿久庄の屋敷の様子は、『故園』『父母への手紙』『祖母』『十六歳の日記』などに祖父母のエピソードとともに語られていますが、家は昭和42年(1967年)に建て替えられて、現在は庭と生け垣に当時の面影を残すだけとなっています。
 近くの八阪神社は、小学校に登校する時の集合場所であったことが『父母への手紙』に記されています。また、小学生の康成が、一人で村の東のはずれの小山に日の出を見に行ったことを、『思ひ出すともなく』に書いています。 寄宿舎の近くを流れていた茨木川の堤や川に架かっていた高橋は、康成が散歩をしたり、春の日に弁当を食べたりした場所で、当時の日記にも綴られています。現在、茨木川は緑地帯になり、高橋は交差点にその名前を残すだけとなっています。
 読書好きの康成がよく通った二つの書店は現在もあり、茨木高校に近い書店は当時とほぼ同じ場所に店舗を構えています(『真鍮の大黒像』)。 
 茨木御坊(東本願寺茨木別院)では、尊敬していた英語の先生の葬儀が生徒たちの手により営まれ、その様子は『師の棺を肩に』で語られています。



川端康成文学館ではどのような展示があるのですか。

 小学生のころに書いた習字や綴方清書帳、親友にあてた賀状、原稿、著書、写真など、ゆかりの品々が約400点展示してあります。その品々を年代別(生い立ちと宿久庄での暮らし、茨木中学のころ、戦前と戦後の文学作品とその舞台、ノーベル賞受賞 など)にわかりやすく解説しています。
 康成が祖父母と暮らした宿久庄の屋敷模型(実物の20分の1)は、ボタンを押すと屋敷の内部や庭などの説明が流れ、康成が読書をした樹木や昼寝をした庭石の様子がわかります。


   
       川端康成ゆかりの展示品



※川端康成文学館を見学したあと、康成と茨木について詳しく案内されている「川端康成ゆかりの地ガイドマップ」をもらって、茨木の街や宿久庄を散策してみるのも楽しいでしょう。


    
    「川端康成ゆかりの地ガイドマップ」

●川端康成文学館
 〒567−0881 茨木市上中条2−11−25
 開館時間 9:00〜17:00
 休 館 日:月曜日午後、火曜日、祝日の翌日
        年末年始(12月28日〜1月4日)
 入 館 料:茨木市民は無料、市外の高校生以上は 
        200円(20人以上の団体は要予約)
        TEL  072−625−5978
        FAX  072−622−9858