『まなびどり』編集ボランティアは、これまでに茨木市内の街道や自然歩道、川などたくさんの自然や史跡を紹介してきました。
 今回紹介するのは竜王山です。約4キロの行程を、寺や神社などに寄りながらゆっくりと歩きました。
竜王山頂からの眺望

 竜王山は茨木市の最高峰です。標高510メートルの山頂からの眺望はすばらしく、緑豊かな山には野鳥や昆虫などが
生息しています。
 また、かつては竜神信仰が盛んだったといわれ、山中には竜神に関係する神社や石碑などがあります。

 10月10日晴れ。絶好のハイキング日和。阪急茨木市
駅バスターミナルから、午前9時43分発忍頂寺行きのバスに乗車する。市街地を離れしばらくバスに揺られていると、窓から黄色に色づいた田園が見えた。あちこちで稲の刈り入れも始まっている。乗車から1時間足らずで忍頂寺バス停に到着した。
 午前10時45分、バス停近くの信号機の前にあるコンクリートの階段を上り始める。入口には「龍王山参道」の石標が立っていた。鳥居をくぐり進んでいくと左手に石像を祭った祠があった。赤い前掛けが印象的である。
 気が付くと階段は石造りになっていた。ドングリやクリを拾いながら進んでいく。階段沿いには石像がぽつりぽつりとたたずんでいる。この辺りまで来ると息も荒くなってくる。やっと石段が終わった。標識に従って左の坂を行く。しばらくして「蛙岩」の案内碑が見えてきた。

岩の形がカエルに似ているそうだが道からは見えなかった。さらに進んでいくと、左手に「岩刀山」の案内碑が見えた。この岩の割れ目から薬師如来が出現したと伝えられている。赤い鳥居がひときわ鮮やかだ。歩きながら辺りを見回すと石碑が点在している。近くでよく見ると、「龍神」や「大明神」の文字が入っていた。

 ようやく宝池寺に到着する。住職さんにこの寺と近くの八大龍王宮について話を聞いてみた。八大龍王宮は雨乞いのお宮で、拝殿の額には由来が記され、その向こうにある八葉蓮宝池には八大龍王が祭られているとのこと。宝池寺はこのお宮を管理しており、寺宝として竜の骨と称するものを秘蔵しているという。宝池寺では定期的に護摩が焚かれ、五穀豊穣を祈願しているとのことである。


  八大龍王が祭られている八葉蓮宝池

 午前11時45分、宝池寺を後にする。山はますます深くなり、光もあまり届かない。すぐに愛宕権現に着く。案内板によると、この権現は京都の愛宕神社から勧請されたもので、太平洋戦争中までは山頂付近にあったそうだ。もともとは火防ぎの神として人々に信仰されていたようである。山頂を目指し道を歩く。頂上近くまでは木々は鬱蒼としていたが、山頂付近は草の原である。その真ん中に木組みの堂々とした展望台が建っていた。到着はお昼の12時ちょうど。
 展望台は平成15年3月に建てられた。高さは15メートルあり、上からの眺望はすばらしい。大阪平野や大阪湾、生駒連山なども見渡せる。地元の人によると、この一帯は戦時中は空襲で飛来する飛行機の監視所として使われていたそうだ。

戦後は松茸がよく採れ観光客に食べてもらっていたそうだが、今はまったく採れなくなってしまったとのこと。広々とした草の原にシートを敷いて、昼食をとることにする。
   

愛宕権現

竜王山の展望台

 午後1時、昼食を終えて下山する。元の道を引き返す。宝池寺を通り過ぎてさらに下る。急な下り坂を転ばないようにしっかりと下を見て歩く。途中、先ほど上ってきた石段に出合うが、そこには行かず通過する。しばらくして視界が広がり遠くに市街地が見えてきた。辺りは山里の雰囲気になっている。近くに鈴なりの実を付けた柿の木が一本。絵になる秋の風景だ。木々の間から忍頂寺の屋根が見えた。
 午後1時35分、忍頂寺(寿命院)に着く。この寺は平安時代の初めに僧三澄によって創建された。その後、清和天皇から寺号を賜り勅願寺となった。創建当時は多くの宿坊を持つ山岳寺院として、勝尾寺などとともに修験道場の場として栄えた。織田信長の時代には保護下にあったが、その後、キリスト教の伝播により寺院が焼き払われてしまった。後に再興したが再び衰え、今は寿命院だけが残っている。 本堂北側の五輪塔を見る。製作年代がはっきり刻まれたこの五輪塔は、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪のすべてが整っている。大阪府の指定文化財である。その後、八所神社と浄福寺に寄る。
 府道を忍頂寺バス停へと進むと、道路の山側に大日如来の石仏が祭られていた。竜神を祭る山を訪れた締めくくりに、感謝を込めて手を合わせた。

 午後2時30分、忍頂寺バス停に戻る。歩いた距離の割には見所の多い行程だった。

  
大日如来と記された石仏      忍頂寺(寿命院)