午後1時30分、府道茨木亀岡線に戻る。ここから1キロ余りの道は通称「ダンプ街道」といわれ、大型トラックが行き来するので気を付けて歩く。長ケ橋を渡って川上に向かって進む。
しばらくして府道と安威川から離れた、竹藪の間を南西に曲がる。ここまで来ると車の音も少なくなる。民家が建ち並ぶ静かな里山の風景にほっとする。三差路のすぐ右手には大念寺の広い階段、左手には阿為神社の鳥居が見えた。
大念寺は藤原鎌足の長男定恵が創立したといわれ、本尊は平安時代に作られたという阿弥陀如来像である。この寺には雨乞い地蔵と呼ばれる木像がある。境内には黄金竹があり、頭だけ枯れるのは鎌足の首だけを多武峰に移したからだといわれている。
大念寺を出て阿為神社へ行く。鳥居をくぐり階段を上る。この神社は中臣藍連が初めてこの地に来て祖先の天児屋根命を氏神として祭ったのが始まりだといわれている延喜式内の古社である。延喜式とは、平安時代の延喜5年(905年)に醍醐天皇が編纂を命じた律令法
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の施行細則を集成した法律書で、その中の神名帳に記された神社を式内社と呼んでいる。この神社には、付近の古墳から出土したとされる中国後漢の三角縁二神二獣鏡が蔵されている。
阿為神社から10分ほどの所に、府の指定文化財の「乾邸のいちょう」がある。新緑が青い空によく映えていた。
午後3時20分、塚原口バス停で解散。約6キロの行程であった。
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