『まなびどり』編集ボランティアは、これまでに茨木市内の街道や自然歩道、川などたくさんの自然や史跡を紹介してきました。
 今回は、茨木市の市街地からあまり遠くない北部地域を紹介します。
大門寺の山門

 木々の緑が美しく輝く5月の初旬、山手台の国見峠緑地から山手台中央公園、方向を 北に変えて国見台公園から大門寺を経て、安威地区まで南下する約6キロを、史跡や社 寺を訪ねながらゆっくりと歩きました。

 5月11日快晴。午前10時02分、阪急茨木市駅発茨木サニータウン行きのバスに乗車。午前10時35分、サニータウンの団地入口バス停で下車。周囲の山々の若葉がまぶしいほどに輝いている。
 石垣に沿って南の方向に歩く。道を下ると右側に国見峠緑地が見える。緑地内にある長さ50メートルほどの藤棚は満開時には見応えがあるのだろう。
 この辺りには、明治時代の中頃まで亀岡街道が通っていて、人々が木炭や柿、栗などの荷物を茨木の町や吹田方面などに牛車などを使って運んでいた。しかし、福井から国見峠への道が急勾配で荷物の運搬が困難をきわめたため、明治25年(1892年)に佐保川沿いに新道がつくられ、これにともない、今までの福井から清阪に至るルートは清阪街道といわれるようになった。   
 国見峠緑地から10分ほどで山手台中央公園入口に着く。
ここには、サニータウン開発時に集められた「南無妙法蓮華経」と書かれたおさん茂平恋道中碑や道標のほか、初田1・2号墳、長ケ淵1号墳などの古墳も移築されている。おさん茂平恋道中碑の側面には、「左 京みち 右 大坂」と書かれていて、道標も兼ねているのだろう。
 この公園には眺望のいい所があって、茨木市内から大阪市内の方まで一望できる。5月の春風が心地よく、そぞろ歩きにはとてもいい場所である。

 
中央公園北に集められた
おさん茂平恋道中碑や道標など

初田1号墳石室

 午前11時25分、公園を出て大門寺に向かう。
 山手台小学校裏手の階段を上り、ゴルフ場の西に出て上り坂を進むと国見台公園がある。ここを東に折れゴルフ場に沿った道を進んでいくと、次第に木立が深くなる。しばらくして木々の間に大門寺が見えた。
 大門寺到着後、しばらく境内を見せていただき、その後昼食。再び境内周辺を散策する。この時期はモミジの若葉がとても美しい。秋にはすばらしい紅葉が見られる。 この寺は770年代の宝亀年間に桓武天皇の兄にあたる開成皇子が霊地を求めこの地に来て、多聞天の化身に会ったことからここに堂を建てたのが始まりだといわれている。本尊の木造如意輪観音座像、木造四天王立像四躯は平安時代の作といわれている。いずれも国の重要文化財の指定を受けている仏像である。 
 府道茨木亀岡線に出る。車の往来が激しい。しばらく南下すると奥垣内というバス停があり、この近くの

高台の住宅地に地福寺がある。この寺は7世紀、中臣(藤原)鎌足によって創立されたという。阿弥陀如来像を本尊とし、鎌足自筆といわれる画像や絹本空海の古画像・縁起などを蔵している。鎌倉時代の作といわれる石造五重塔は大阪府の有形文化財に指定されている。
   

大門寺の境内

  午後1時30分、府道茨木亀岡線に戻る。ここから1キロ余りの道は通称「ダンプ街道」といわれ、大型トラックが行き来するので気を付けて歩く。長ケ橋を渡って川上に向かって進む。
 しばらくして府道と安威川から離れた、竹藪の間を南西に曲がる。ここまで来ると車の音も少なくなる。民家が建ち並ぶ静かな里山の風景にほっとする。三差路のすぐ右手には大念寺の広い階段、左手には阿為神社の鳥居が見えた。     
 大念寺は藤原鎌足の長男定恵が創立したといわれ、本尊は平安時代に作られたという阿弥陀如来像である。この寺には雨乞い地蔵と呼ばれる木像がある。境内には黄金竹があり、頭だけ枯れるのは鎌足の首だけを多武峰に移したからだといわれている。
 大念寺を出て阿為神社へ行く。鳥居をくぐり階段を上る。この神社は中臣藍連が初めてこの地に来て祖先の天児屋根命を氏神として祭ったのが始まりだといわれている延喜式内の古社である。延喜式とは、平安時代の延喜5年(905年)に醍醐天皇が編纂を命じた律令法

 の施行細則を集成した法律書で、その中の神名帳に記された神社を式内社と呼んでいる。この神社には、付近の古墳から出土したとされる中国後漢の三角縁二神二獣鏡が蔵されている。
 阿為神社から10分ほどの所に、府の指定文化財の「乾邸のいちょう」がある。新緑が青い空によく映えていた。
 午後3時20分、塚原口バス停で解散。約6キロの行程であった。

大念寺の山門 阿為神社の鳥居