『まなびどり』編集ボランティアは、これまでに茨木市内の街道や自然歩道、川などたくさんの自然や史跡を紹介してきました。
 回は、総持寺を出発点に西南方向にある松沢池まで歩いてみました。
 周辺の神社や史跡などを紹介します。
三咲町の文政の道標

 秋の彼岸も終わり、暑さが少しやわらいだ9月の下旬、『まなびどり』編集ボランティアは、総持寺から西河原公園、
生涯学習センターきらめきを経て、松沢池に至る約8キロを、周辺の史跡などに立ち寄りながらゆっくりと歩きました。

  9月28日曇り。どんよりとした空の下、阪急電車総持寺駅前を9時30分に出発する。車道を避けて住宅街を歩くこと約10分、最初の目的地である総持寺に到着。
 西国三十三か所巡礼の二十二番札所として知られる総持寺の門前には、すでに観光バスが止まっていた。たくさんの参拝者が境内へと歩を進めている。総持寺は仁和2年(886年)に創建。本尊は十一面千手観世音菩薩である。毎年4月18日には、真魚ばしと包丁だけで魚には一切触れずに見事に身をさばいていく山蔭流包丁式が行われる。
 府道126号に出て、すぐにJR京都線のガードをくぐる。三島中学校の前を通り北に曲がると西河原公園に着く。
 西河原公園は自然に恵まれた公園で、「大阪みどりの百選」に選ばれている。ここには多くの野鳥が生息し、また、ホタルの人工飼育も行われていて、毎年5月下旬から6月中旬には、ゲンジボタルが園内の水路沿いを飛び交う。
 西河原公園を出て、近くにある4つの道標を訪ねてみた。西河原二丁目の「いぼ水への道標」。西河原一丁目の「西河原の道標」。安威川を越えて、三咲町の「三咲町の風雅な道標」と「三咲町の文政の道標」。いずれも磯良神社や勝尾寺、総持寺へ参拝に行く人たちの重要な道案内であった(道標の標題は『わがまち茨木 道標編』による)。

 茨木川を越えて、国道171号沿いを歩く。パナソニックの工場の前を通りすぐ南に曲って、生涯学習センターきらめきに入る。ここでゆっくり昼食と休憩をとる。
 
総持寺山門
西河原公園

 午後零時30分、生涯学習センターきらめきを出る。西田中町の交差点を渡り西へ。すぐに南へ曲がり茨木工科高校に沿って歩く。この辺りは昔、ため池(倍賀池)があったが、現在はその面影は残っていない。
 春日神社に着く。大きな槙の木が目に入る。境内には国の重要文化財である鎌倉時代の石燈籠が本堂近くに建っていた。茨木市内にはここを含めて9つの春日神社があり、いずれも天児屋根命を祭っている。
 春日五丁目の春日神社を出て150メートルほど南に下がった住宅の角に「倍賀の道標」があった。勝尾寺への案内であるが、文字の彫りが浅く読み取りにくかった。この道を西に春日小学校まで進み、府道14号を渡る。JA茨木本所の角を西に進み、ほづみ保育園の前を通って亀岡街道に出る。街道を南に向かって歩き、中穂積で右折して見付山一丁目と中穂積二丁目の間の道を進むと、中穂積の春日神社の石段下に着く。

 100段ほどの石段を登り境内に着く。小高い山にある境内からは茨木市の街を見渡すことができる。古い資料では、小高い山林一帯を穂積城(砦)の跡として伝えているが、定かではない。

中穂積の春日神社

 午後1時40分。春日神社の裏の階段を下りると目の前が長池である。すぐ側の名神高速道路をくぐり、高速道路沿いに南下すると桝池に出る。西側が松沢池である。
 松沢池は茨木市で最大のため池である。造成が始まったのは、今から200年近く前の文政11年(1828年)。付近には、上穂積村、中穂積村、下穂積村、倍賀村の4つの村があった。この村々は米作りに必要な水を川から引いていたが、年々流水が減少し干ばつが起こるようになったことから、4つの村が話し合いをして池を造成することになり、2年がかりで完成した。
 松沢池に着く。水をいっぱいに蓄えた松沢池の風景を眺めつつ、池の周りを左回りで歩く。まず訪れたのは、この池を見守っている水神宮。当時、松沢池の造成工事は難工事であったため、池の守り本尊として水神を祭った。竜王山にも水神宮の社を建てたそうだ。
 さらに進むと春日丘八幡宮に着く。宮司さんから神社の由緒などを聞いた。この神社は比較的新しいが、地域の人々に親しまれており、毎年、秋祭りには、児童がたたく太鼓などの囃子とともに神輿が練り歩くそうである。
 

広い松沢池公園を通り、池の南側を歩いていくとお地蔵さまが見えた。ここまで何事もなく来られたことに感謝し、静かに手を合わせた。すぐ横の近鉄バスの峠バス停から、午後2時54分のバスに乗車して帰路に着いた。
 8キロあまり、約5時間の茨木市を再発見する散策であった。 
松沢池