『まなびどり』編集ボランティアは、これまでに茨木市内の街道や自然歩道、川などたくさんの自然や史跡を紹介してきました。
 今回は、阪急茨木市駅とJR茨木駅を結ぶ中央通りとその周辺を紹介します。
中央通り
 阪急茨木市駅とJR茨木駅を結ぶ中央通りにはさまざまな商店が立ち並び、たくさんの人や車が行き交います。神社仏閣や市役所・市民会館・学校などの公共施設も通り沿いに建っています。
 この通り周辺は、駅の設置や万国博覧会の開催などで道路などが整備され、大きく様相を変えました。
 寒さが厳しい冬空の下、阪急茨木市駅前から出発し、あちこちに寄り道をしてJR茨木駅に至る約3キロを、その変遷に思いを寄せながら訪ね歩きました。

 2月1日曇り。午前10時に阪急茨木市駅に集合。今にも雨が降りそうな空の下、JR茨木駅に向けて出発する。駅の西側からバスターミナルやタクシー乗り場を経て中央通りに入る。この辺りは、日本万国博覧会(昭和45年[1970年]吹田市)開催の頃までは、駅の近くにも田んぼや畑があったようだ。万博開催に向けて駅周辺や道路が整備され、車が増えていった。当時、駅の西側の商店街は、市場や商店が軒を連ねてかなりの賑わいだったが、その後、駅周辺にスーパーなどの大型店舗が出店し始めて、人の流れも分散していった。
 通りに入ってすぐ右側に、東本願寺茨木別院がある。400年の歴史があり、堂々たる本堂は遠くからでも目立つ建物である。ここは大相撲春場所での二所ノ関部屋の宿舎兼稽古場になっている。境内に相撲のぼりが立つと、春を実感する人もいるだろう。川端康成の著書『師の棺を肩に』の中にも、この寺院が出てくる。
 茨木別院を出てすぐ、川立地蔵尊の交差点を右へ入り、本町商店街などを通り梅林寺に向かう。商店街の店はそれぞれに趣があり、昔ながらの「商い」という言葉がぴったりだ。 梅林寺の静かな境内には梅の木々が植えられていた。本堂の裏には、賤ヶ岳の合戦(天正11年[1583年])で討死した茨木城主、中川清秀の墓があり、秀吉の書簡や中川清秀画像などもあるという。
 雨がポツポツ降り出した。梅林寺を出て元の交差点に戻り、心斎橋筋商店街へ。ここには、佛具店や画材店、茶舗などがあり、昭和の頃のレトロな雰囲気が感じられる。再び中央通りを歩き、川端康成ゆかりの印刷店を経て、男女共生センターローズWAMに着く。

ここには、佛具店や画材店、茶舗などがあり、昭和の頃のレトロな雰囲気が感じられる。再び中央通りを歩き、川端康成ゆかりの印刷店を経て、男女共生センターローズWAMに着く。
 
東本願寺茨木別院
阪急茨木市駅

 男女共生センターローズWAMは、男女共同参画社会の実現を目指し、平成12年(2000年)にオープンした。女性の自立や社会参画などを図るために、講演、講座、研修などが催されている。
 ローズWAMの隣りにある茨木神社には、多くの人が訪れる。この日も、本殿の鈴の音がひっきりなしに聞こえていた。東門は茨木城の搦手門を移築したといわれている。奥にある天石門別神社は延喜式内社の一つである。その後ろには秀吉が茶会で用いた「黒井の清水」の井戸があり、そばに小さな梅林がある。
 高橋の交差点に出た。桜の名所である元茨木川緑地が南北に広がっている。ここから北側の道路が川端通り、南側が桜通りである。交差点の西南の角には、高さ2メートルほどの大きな自然石の道標が立っている。中央部に「右 茨木停車場 左 大阪」、その下に細い字で「距 高麗橋元標 四里廿四丁拾間」と記されている。 
 中央公園西の信号を渡ると左側に茨木市役所本館と南館が建っている。茨木市は昭和23年(1948年)に誕生した。市章は「茨」の字を鳩の形に図案化したものである。
 南館9階のスカイレストランで昼食をとり、しばらく休憩する。雨で見晴らしがよくないのが残念。

茨木神社内の「黒井の清水」
高橋の道標

午後零時15分、市役所を出て、市民会館(ユーアイホール)、市民総合センター(クリエイトセンター)、福祉文化会館(オークシアター)に立ち寄る。市民会館は市内で最大の収容人数(約1000席)を誇る大ホールを持っている。
 福祉文化会館隣りの養精中学校は、高等小学校として明治26年(1893年)に創設され、昭和22年(1947年)に新制中学校になった。
 しばらく歩きJRの高架をくぐる。左手の少し先を曲がるとJR茨木駅に着くが、右に折れて春日商店街に入ってみる。さまざまな種類の飲食店や米穀店、写真店、美容室などが並んでいる。通り沿いの街路灯は、商店街の活性化を目指して、5年前に建築家に依頼して作られた。その形状はオリジナルでここだけのものだそうだ。
体が寒さで冷えてきた。商店街の喫茶店に入り、熱いコーヒーを飲んで体を温める。
 中央通りに戻りJR茨木駅へ。駅が設置されたのは明治9年(1876年)。当初、鉄道は茨木村の中央部を通り、現在の本町と片桐町の間に駅を設けることにしていたらしいが、汽車から出る火の粉が周辺の民家などに及ぶ危険があるとの声があがり、結果として現在の場所に落ち着いた。駅の西側は田んぼや畑が広がり、駅のそばに新池と呼ばれるため池と茶店が一軒あっただけだという。その後、万博開催の周辺整備によって、田畑や新池は埋め立てられ、駅舎はきれいに改築された。
 午後2時20分、JR茨木駅に到着する。中央通りとその周辺の道のりを含めて、約3キロの散策だった。
 

 
茨木市役所前から見た市民会館と福祉文化会館
JR茨木駅