秋の休日の午後。夕食までにはまだまだ時間があります。読書にも疲れたし・・・。ちょっと散歩にでも出かけましょうか・・・。
というわけで、今回は、「安威川・茨木川合流の碑」から元茨木川緑地の中を通って、高橋の交差点まで歩いてみました。
 散歩は心地よいひとときと健康を与えてくれます。あなたもいかがですか。

「安威川・茨木川合流の碑」辺りから元茨木川緑地に入ってみましょう。
 入るなり、緑地の木々が頭上を覆うようにそびえ立ち、まるで林の中にいるようです。ヒノキやケヤキに混じって、サクラがたくさん植わっています。春には多くの人で賑わうのでしょうが、今は、人もまばらで読書にはぴったりの場所です。
 田中町の交差点で途切れた緑地を再び歩きます。以前、ここを歩いていた時、木の根元に何かを蒔く作業をしている人を見かけました。話を聞いたところ、市内の公園で剪定した枝葉を細かくして、腐葉土がわりに使っているとのこと。なるほど、足で少し踏んでみると、通気性のよいフカフカの土になっていました。それにしても、手入れが大変でしょうね。
 JR京都線高架下をくぐってすぐの所に、健康歩道(トッキーパワー)があります。
30メートルほどの長さに敷き詰められた小石の上を、素足で歩いて足の裏を刺激し、血行をよくしようというものです。さっそく挑戦してみましたが、これがびっくり、すごく痛いのです。ヒーヒー言いながら歩きましたが、終わってみると足が軽くなったような気がしました。

 「茨木城跡」を案内する標識が見えてきました。茨木城は15世紀代に築城され、本丸は現茨木小学校の辺りにあったそうです。茨木小学校の正門は茨木城の櫓門を復元したものです。1617年に廃城されるまで、茨木氏、中川氏、片桐氏などが入れ替わり城主になりました。大名が生き残りをかけて争った戦国時代・・・大変な世の中だったんですね。
 緑地の中をさらに進みましょう。右手に川端康成文学館が見える辺りに、「佐介樋跡」と書かれた碑を見つけました。どうやら、戦国武将、古田佐介(織部)がこの辺りに屋敷を構え、茨木川から取り水をしていたのでしょう。茶人で、千利休七哲の一人だった佐介が、樋から取り込んだ水で茶をたて客人をもてなす・・・。そんな光景が浮かんできます。
 ちなみに、織部焼は彼の指導によって創られたそうです。
 

 茨木川緑地は、元々が川だっただけに、樋跡や橋跡がたくさんあります。
「丹波橋跡」もその一つです。「でもなぜ丹波橋?」。橋の道が、田中から白井
河原に出て、福井村で亀岡街道に合流して丹波に通じる道路だったことから、
丹波橋と名付けられたようです。
 高橋が見えてきました。がっしりとした石造りの橋には、欄干の四隅に、行
き交う人々を眺めるように茨木童子像が立っています。橋の下には、江戸時代
の頃と現在の高橋とが壁画になって飾られています。昔は水がとうとうと流れ
ていたんですね。よく氾濫したとも聞いています。つくづくと時代の移り変わ
りを感じます。今は、きれいな緑地に生まれ変わって、市民の大切な憩いの場
になりました。 
 もうすぐ夕方です。そろそろ家に帰りましょう。