歴史、芸術、経済、語学などさまざまなジャンルにおいて、知っておきたい事柄や興味深い出来事を、
生涯学習センターきらめき講座の講師の方々に、わかりやすく解説していただきます。
  今回は、前年度に開催された講座「天災は忘れた頃にやってくるー随筆家寺田寅彦の眼・師夏目漱石との
関係を含めてー」を担当された木村正明先生に、寺田寅彦の作品などについて解説していただきました。

    
  寺田寅彦はすぐれた物理学者でありながら、数々のすばらしい随筆を残しました。日常の自然現象や出来事を、科学的かつ文学的な眼で捉え文章に表す才能は
どのようにして生まれたのでしょうか。夏目漱石との関係も含めて、彼の経歴や残した作品の中からその素地をさぐります。
 また、今なお、多くの人々に愛される彼の作品の魅力はどこにあるのかもさぐってみましょう。
寺田寅彦の経歴を教えてください。

  明治11年(1878年)、東京生まれ。父は土佐藩の郷士の生まれで、陸軍の会計監督をしていました。一家は今でいう転勤族で、寅彦は、誕生時は東京に住んでいましたが、明治14年(1881年)、高知に移り住みました。その後、東京に戻りますが、父の退役で再び高知に移り、地元の中学校を卒業後、明治29年(1896年)、熊本の第五高等学校に入学しました。ここで出会った物理教師の田丸卓郎と英語教師の夏目漱石が、寅彦のその後の人生を決定づけます。田丸卓郎には物理のおもしろさを教わり、夏目漱石との出会いが、俳句や数多くの優れた随筆を生み出すきっかけとなりました。
 寅彦は、明治32年(1899年)に東京帝国大学に入学し、大学院へと進学。その頃、漱石はイギリス留学を終えて東京帝国大学で教鞭をとっていました。師弟関係は熊本から東京へと場所は移っても続いていきました。
 その後寅彦は、東京帝国大学の講師、助教授を経て教授に。物理学者としての業績は多彩で、エックス線の回折に関する研究や自然現象、地震の研究なども行いました。文学では、俳句や随筆を発表し、科学者としての視点と文学的感覚とが調和した素晴らしい作品を数多く残しました。 昭和10年(1935年)没。享年57歳でした。



夏目漱石との関係を教えてください。

 寺田寅彦の熊本第五高等学校時代、漱石は英語の教師でした。すでに俳人として名前が知れていた漱石宅に寅彦は足繁く通い、俳句を見てもらいました。漱石は俳句について、「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」などと言っています。
 上京後寅彦は、漱石を通じて正岡子規とも交流を持ち、雑誌『ホトトギス』に作品を発表するようになります。
 漱石との交流はその後も続き、小説『吾輩は猫である』に登場する水島寒月や『三四郎』に出てくる野々宮宗八は、寅彦がモデルだといわれています。漱石は自分を慕ってくる弟子たちにやさしく相手をしたそうです。やがて、漱石を慕う教え子や若い文学者たちが漱石宅に集まってさまざまな議論をする「木曜会」ができました。
 また、漱石は寅彦に科学的なことをよく聞いていたそうで、それを正しく理解し文章にしたそうです。寅彦が文学ができる物理学者なら、漱石は理科ができる文学者だったようです。


寺田寅彦は科学者であり、文学者でもありましたが、その素養はどこから来たのだと思われますか。

 
物理の才能も文学の才能も、持って生まれたものがあったのだと思いますが、俳句をしたことが才能を伸ばすことにつながったのではないでしょうか。俳句は日常のささやかな現象をも目に止め観察し、また、日々の些細な出来事にも心を向け、それを17文字で表現します。ですから、自然と日常のあらゆることに興味を持つようになるのです。寅彦は、第五高等学校時代に、物理を教わった田丸卓郎と俳句の手ほどきを受けた夏目漱石に出会ったことで、その才能を開花させることができたのではないでしょうか。

寺田寅彦といえば、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉が有名ですね。 


 寺田寅彦は気象学や地震の研究などを行っており、関東大震災の調査にも従事していたので、このような言葉をよく口にしていたようですが、文字としては残っていません。随筆『天災と国防』の中に、これと同じことが少し違った表現で書かれていたので、弟子で物理学者の中谷宇吉郎が、寅彦の作品の中にこの言葉があると思い込み、新聞に載せたのです。その後、この言葉がいろいろな所で引用され、一日一訓のようなものに採用されることになった時、その出所と解説を頼まれ、調べたところ、文字としてはどこにも残されていないことに気付いたそうです。
 寅彦の随筆には、『天災と国防』のほかにも自然災害や防災について警鐘をならす随筆がいくつか見られます。
 とかく私たちは、災害が起きてしばらく時間が経つと、日頃から備えをしているつもりでも、つい惰性に流されがちです。寅彦が記しているように、災害などの自然現象は、いずれは必ずやってくるものと覚悟して、日々、新たな気持ちで備えることが大切です。

寺田寅彦の随筆は、今なお多くの人々に愛され読まれています。その魅力を教えてください。

 寺田寅彦は、日常の出来事や自然現象などを分かりやすく素直な文章で表現しました。技巧的でなく飾らないところがいいですね。また、地震などの災害の話や身近な自然現象のこと、夏目漱石などの人物回想など、題材の幅の広さも魅力の一つといえるのではないでしょうか。
 私は寅彦の作品の中では、『団栗』が一押しです。寅彦の若い病気の妻が、冬の植物園でドングリを楽しそうにハンカチいっぱいに拾ったこと、その妻の亡き後、自分の子どもが同じようにドングリを拾う姿に、「始めと終りの悲惨であった母の運命だけはこの子に繰返させたくないものだ…」と書いています。ほかに、金平糖の角について記した『金平糖』や茶碗の中の湯気から気象現象に展開していく『茶碗の湯』、また、漱石との思い出を記した『夏目漱石先生の追憶』などもいいですね。しかし、寅彦の作品はどれも皆おもしろいです。それは先に述べたように、科学的な視点と文学的感覚を併せ持った寅彦の文章が私たちの心を引きつけるからでしょう。